フクロウの宿2016/05/05 07:53

小手沢山のテント
 5月連休は会津の城郭朝日山(じょうかごあさひやま)に登った。奥深い位置にある山で途中数泊必要だった。登山道の有る尾白山への登り途中で一泊した後、藪や雪の尾根を登って雨の中を小手沢山に着いたのは二日目の午後3時近くだった。翌日は、城郭朝日山まで軽い荷物で往復する事にして、山頂直下の雪の上に幕営する事にした。周囲はブナ林だった。西風の強い晩で、木の枝を揺する風の音がゴーゴーと聞こえていた。幸いにも西風を避ける位置に建てた我々のテントは微動だにしなかった。
 強かった風は夜が深まるとともに弱くなり、いつしかテントの回りは静けさに覆われていた。と、30m位上の山頂の方からフクロウの鳴き声が聞こえて来た。フクロウはと「ホーホー」と鳴くと誤解をしている人もいるかも知れないが、実際は「ホッホ ホホッホ ホー」と個性的な声で鳴く。夜行性で夜だけ鳴く。大河ドラマでも夜の雰囲気を出すための背景音として使われていた。ただ現代では人家のそばで聞くことはまれで、登山者も外の音の聞こえない小屋泊まりでは聞く事はできず、樹林帯でテントを張った場合だけ聞く可能性がある。かく言う私も冬の上高地でテント泊した1回だけ聞いた事があるだけだった。しばらくするとフクロウはテントの方に近づいて来た。今回は軽量化のためICレコーダを持ってこなかった事が悔やまれた。が、よく考えると、ここで録音してもイビキとともに記録されてしまう事に気が付いた。このまま鳴き声だけを楽しむ事にした。フクロウは次第に近づき、鳴き声もイビキの音よりだいぶ大きくなって来た。やがてテントの真上の木の3m位の所に止まったらしかった。もう一人の同行者も気がついたのか、軽く寝返りを打った。しばらくすると好奇心旺盛に我々のテントを眺めていたフクロウも、どうやら食べ物はないと悟ったのか、ゆっくりと移動してテントを離れて行った。鳴き声も、いつのまにかイビキの音にかき消されてしまった。時刻を見ると2時半で30分ほど近くで鳴いていた事が分かった。
 翌朝、テント脇で出発準備していた時に、同行者に「フクロウが鳴いていましたね」と言いたくなった。が、一人は熟睡中だったし、もう一人も山の中では鳥の声を楽しむと言うよりは、ウイスキーを楽しむタイプで、鳥の名よりもお酒に銘柄の方に関心がありそうだった。今晩もここで一人で鳴き声を楽しむ事にして、フクロウの話題を持ち出す事はやめにしてしまった。
 城郭朝日山への往復は藪が多く、疲労困憊してテントに戻ったのは午後5時半を回っていた。食事を終え、8時半にはぐっすり寝入ってしまった。次に意識を取り戻したのは朝の3時40分で、起床時間の20分前だった。結局、二晩続けてフクロウがやってきたかどうかは永遠の謎になってしまった。

春山を振り返る2016/05/10 20:55

ブナ林の藪を進む
 毎年ゴールデンウィークには標高2000m程度の春山に行っている。今年の城郭朝日山への山行は標高1500m位で低かった上に、雪も少なかったので藪が多かった。藪にも色々あって、灌木が生い茂り、しかも進行方向に対して逆方向になっている大変な藪や、ネマガリタケで手でかき分けるのが大変な藪もある。
 今回通った中で最も厳しかったのは、笹にツルがからまっている藪だった。前に進もうとするとツルが足にからまり進めなくなった。更に力を入れて進むと、ツルはますます足を引っ張った。こうなるといったんバックしてツルを緩めないと外れなかった。よっぽどナタを振り回しながら歩きたかった。ツルは赤くて細いのと、白くて太いのがあった。特に赤くて細いのが始末に悪かった。しまいには赤いのが見えると何とか迂回して敬遠したくなったものだ。
 一方、意外に楽なのはブナ林の藪で、下に生えている笹の密度も薄く、ほとんど雪の上を歩いているスピードと大差なく歩くことができた。カタクリなども咲いていた。失礼ながらカタクリを踏んづけながら歩いていると、ツルの藪と比べると、まさに高速道路を通っているような感じだった。
 すっかり藪のベテランになって下山した我々だったが、異口同音に、「しばらくは藪は遠慮したい」と、お互いに今回の山行を振り返った。

誰にも会わなかったゴールデンウィークの山2016/05/12 20:14

行きの尾白山山頂
 ゴールデンウィークだと、人があまり来ない残雪の春山でも誰かしらに会うものだ。ところが今回の城郭朝日山は誰にも会わなかった。標高もさほど高くない藪の多い山で、かつ長い距離を歩く必要の有る山だったので、当然かも知れない。
 それでも登りに通った尾白(おじら)山までは登山道が有り、そこそこ登られているようだった。会津田島駅で見た掲示では5/28に山開きが行われるとの事だった。今年は雪が少なく、連休に登った時点で山頂までの間で登山道に雪が残っていたのは、一箇所だけだった。5/28まで待たなくても山開きができそうだった。山頂には70cm位の標識が一本建っているだけだった。それも傾いていて登山道側は標高を書いた面が出ていただけだった。あやうく見落として通過しそうになった。道が無くなったので、戻って、標識の反対側に「尾白山山頂」の文字を見つけて、ようやく山頂と分かったほどだった。
 長かった今回の山行もようやく最終日の5日目。雨の中を尾白山山頂まで戻ってきた。山に入って以来、誰とも会っていなかった。見ると尾白山の山頂標識は行きの時とは裏返しになっていて山名を記載した方が登山道側を向いていた。曲がって立っていたのも、まっすぐに直っていた。どうやら登っている間に、誰かが登って来て直したらしかった。
 山中では誰にも会わなかったが、どうやら登ってきた人はいたようだった。

熊野古道を歩く2016/05/17 20:04

熊野古道を登る
 週末は紀伊半島南部にある八郎山に登った。前日は紀伊田原駅から歩いて10分ほどの国民宿舎で宿泊した。当日朝は、宿舎前の海岸でハマヒルガオを眺めた。紀伊半島も先端近くになると、きれいな海岸でも人は少なく、犬の散歩をさせている人がいるだけだった。誰も見る人がいないのにハマヒルガオがきれいに咲いていた。
 この日は文字通り0mからの山登りと言った趣向だった。とは言え、標高は250mの山なのでたいしたことは無い。国道を離れると、車もぐっと少なくなった。集落の脇道入口に色あせた熊野歩道の標識が有った。脇道を進むとネギ畑で、ちょうど取り入れの真っ最中だった。集落外れ近くに、今度は少し文字のはっきりした標識が有り、山道に入った。登り坂は、昔から使われている熊野古道らしく、巧みに小さな起伏を迂回して緩やかに付けられていた。広葉樹の森で気分良く歩くことができた。
 八郎峠まで登ると、熊野古道は、そのまま反対側に進んでいた。熊野古道を直進すると山頂に行きそびれるので、ここで古道を離れ、八郎山山頂に向かった。こちらは少し急坂でロープも有った。山頂で海の展望を楽しみながら早めの昼食休憩にした。山頂での休憩後、八郎峠に戻り熊野古道の続きを歩いた。再び、ゆるゆると下り、平地まで下りた。田植えの終わったばかりの田んぼにはサギが数匹飛び回っていた。田んぼにはオタマジャクシが泳いでいた。
 熊野古道とは言え、あまり観光とは縁遠い場所を歩いたせいか、結局、山中では誰にも会わなかった。

かさなま に登る2016/05/18 21:08

石仏を見ながら歩く
 紀伊半島も南部だと行くのに時間がかかった。朝早く自宅を出たのに紀伊姫駅に着いたときは12時半を回っていた。7時間もかかっていた。目的の重畳(かさね)山に登り古座駅に着いたときは16時半を回っていて、約4時間の登山だった。4時間の山のために7時間の移動とは効率の悪い山だった。
 見どころはけっこう有り、滝や山頂近くの石仏、山頂近くからの海の展望など、小さな山の割には楽しめた。天気が良かったにもかかわらずマイナーな山のせいか山中では誰にも会わなかった。
 人の少ない山だと道標の整備も今一歩で道迷いを2回ほどした。1回目は尾根を登って林道に出たときに先の山道がどちらか分からなかったのだ。2回目は隣りの小笠山への林道からの登り口が分からなかった。そんなこんなで、下りはかなり急ぎ足になってしまった。
 山中では誰にも会わなかったが、下山した畑の所では畑仕事をしていた老人に会った。「どこに行ってきたの」と聞かれたので「重畳山に登って来たんです」と答えた。しばらく歩いていると後ろから軽トラックで老人が追いついてきて「昔から かさなま と呼んでいるんだ」と うれしそうに教えてくれた。

石廊崎を歩く2016/05/19 20:16

入間への途中で
 5月7日に行った石廊崎は、昔にぎわった観光地と言った感じだった。石廊崎港口バス停から岬の先端まで、それほど観光客も多くなかった。閉鎖された土産物屋があちこちに有った。単に、伊豆半島の最南端と言うだけでは目の肥えた観光客を引きつけるには物足りないのだろう。岬に隣接しているジャングルパークも閉鎖されて通行止めになっていた。
 岬自体は、そこそこの絶景で、特に見どころとして劣るわけでは無かった。30分おきに出る遊覧船が下を通って行った。乗客は15人ほど乗っているようだった。岬付近からは、海岸まで下って自然の海に触れる事のできる道がない点は、少し物足りなかった。石廊崎からは、あまり歩かれていない長津呂歩道を通って仲木へ出、更に南伊豆歩道を入間まで歩いた。海から離れたところを歩く道で木漏れ日が心地よく、ヤマツツジも少し咲いていた。ところどころで視界が開け、上の方から海の眺めを見下ろすことができた。入間も仲木もシーズンは夏なのか、今は、がらんとした駐車場だけが目立っていた。
 入間からの帰りのバスは、直接、下田まで出ることができず、途中の下賀茂で乗り換えだった。乗り継ぎ時間が15分近く有ったので、バス停留所向かいのパン屋をのぞいてみた。一部が喫茶店になっていて、地元の人が二人でコーピーを飲んでいた。少しおなかがすいたのでメロンパンとメロン最中を購入した。メロンパンを食べたのは久しぶりで、割と大きかったせいもあり、1個食べて、すっかり満足した。メロン最中の方はお土産に持ち帰る事にした。
 結局、石廊崎は、このメロンパンが一番印象に残ったハイキングだった。

思索の山2016/05/31 20:43

長九郎山へシャクナゲの花を踏みながら
 観光をしていて、何かを見たとき、知識があると無いとでは大違いだ。きれいな景色とか、うまいものを食べたとかは知識が無くても楽しめるが、たとえば戦国時代の真田氏の城だったとか、オバマ大統領が折ったツルだとか、知識が有ると同じものを見ても感じ方が全く違うだろう。長九郎山は、楽しむには少し知識が必要な山だった。
 当日は曇りで山頂付近は霧だった。景色を楽しむとの目的だったら失望したに違いない。登山口の宝蔵院の建物に向かう道には左右に100体ほどの石仏が並んでいた。江戸時代からのもので、村人が一体一体作ったらしかった。その由来をもっと知っていたら、感動は更に深まっただろう。八瀬峠への登山道は、杉の植林帯が続いていた。人の背丈くらいの所には白い花がたくさん咲いていた。私一人だったら「白い花が咲いていた」で終わったろうが、今回は花の名前に詳しい同行者がいて「コアジサイ」と「ガクウツギ」と教えてもらった。私自身が知っていたのは足元に咲いていた「フタリシズカ」だけだった。
 八瀬峠からの登りでは、シャクナゲが多かった。事前の調査では、これはキョウマルシャクナゲで5月連休頃に咲くそうだ。ほとんど花は落ちていたが、花が残っている枝も一つだけ有った。しばらくシャクナゲの木は途絶え、ヤマツツジがところどころに咲くだけの森になった。木の名前を多く知っていたら、もっと楽しめただろう。シャクナゲは山頂直下になってまた現れた。こちらは目当てのアマギシャクナゲで花を落とした木が多かった。足元に落ちている花の風情を楽しんだ。幸い花の残っている木もわずかながら有った。山頂付近には赤いドウダンツツジが有った。てっきりサラサドウダンツツジと思ったが、帰ってきて調べるとチチブドウダンだった。
 展望も無く、木ばかり眺めていたが、哲学的味わいの深い思索の山だった。