盛岡市郊外の鑪山(たたらやま)に登る2018/02/01 17:22

たたら山バス停から岩手山を望む
 盛岡駅からのバスは30分足らずで「たたら山」バス停に着いた。バスを降りて歩き始めた。空気は冷たいものの天気は良く。青空が広がっていた。橋を渡ると登山口だった。山の案内板は有るものの、標識は無かったので、登山路が分からずうろうろしていると、民家の2階から50歳くらいの女性が顔を出し「こちらだ」と方向を教えてくれた。
 果樹園の脇を通り、送電線の下をくぐると植林帯になった。本格的な登りになった。植林帯の中では積雪は約10cmだった。1時間近く登ると稜線に出た。稜線にはしっかりしたトレースが有った。休んでいると山頂方面から70歳位の男性単独行が下りてきて下山して行った。この先の稜線は落葉樹林の急登になった。積雪は約20cmで、しっかり踏まれていた。滑らないよう注意して登った。
 やがて勾配が緩くなってくると山頂に着いた。樹林に囲まれていた。小さな祠が有った。木の間からが麓の雪景色が見えた。予定より時間がかかり、すでに出発の予定時刻になっていた。小休止しただけで出発した。この先、少し急ぎ足で、次の小ピーク殿ヶ武士山を経由し、一周して元の稜線出合に戻った。少し急いだせいで、何とか帳尻が合い、予定より5分遅れで「たたら山」バス停に戻った。天気はすっかり良くなり、バス停からは岩手山が見えた。
 今回はトレースが有り、ワカンもアイゼンも使わなかった。天気にも恵まれて盛岡郊外の手頃なスノーハイキングを楽しむ事ができた。

春日沢ノ頭へのタクシー2018/02/05 15:56

稲山から春日沢ノ頭へ向かう
 石和温泉駅に集まったのは6名だった。タクシー2台に分乗して登山口に向かった。2台は別々のタクシー会社だった。どちらの運転手も目的地の「稲山ケヤキの森」を知らなかった。道に迷い、最短距離の2倍近くかかって林道の除雪終了地点に着いた。タクシーを下り、10cmほど雪の積もった林道を登ると、15分ほどで「稲山ケヤキの森」の駐車場に着いた。ここでマイカーで来た1名と合流し、今回の参加者7名がそろった。
 更に林道を20分ほど登り、山道に入った時は、予定より1時間近く遅れていた。谷の道から尾根の道になると積雪は減って10cm位になった。途中の急坂では滑りやすかったので軽アイゼンを付けた。山頂手前のピーク、稲山(いなやま)まで来ると甲府盆地の展望が開け、甲斐駒や金峰山が見えた。良い天気だった。予定より1時間以上遅れていた。
 時間も押していたので、稲山からは春日沢ノ頭山頂往復組3名と居残り組4名に分かれる事にした。居残り組がナメコ汁を準備する間、山頂に向かった。今までより緩い坂だった。雪は30cm近かった。幸い前日のものと思われるトレースが有った。山頂は潅木のためスッキリしない展望だった。10分ほどの休憩で、すぐ下山し始めた。稲山に戻った時は、ちょうど往復で1時間かかっていた。準備してもらったナメコ汁で体を温めた。
 帰りは往路の雪道を倍以上の速度で軽快に下った。駐車場ではマイカーで3人帰る事になり、残りの4人がタクシーで帰る事にした。行きのタクシー会社のうちの一つに連絡してタクシーを1台頼んだ。タクシーに乗る4名が除雪終了地点まで歩く間に、マイカー組が挨拶しながら抜いて行った。除雪終了地点で10分ほど待つとタクシーがやってきた。驚いたことに行きと同じ運転手の2台がやってきた。どうやら気を利かせたらしかった。1台に無駄足させても申し訳ないので1台に二人ずつ乗る事にした。タクシー2台は桃畑の間を石和温泉駅に向かった。下りが順調だったせいか、石和温泉駅には当初の予定より10分早く着いた。

春日沢ノ頭からの稜線歩き2018/02/12 16:15

防火帯の急坂を登る
 石和温泉駅からの鶯宿(おうしゅく)行きバスは一日4本だけだった。朝一番のバスは早すぎて、東京朝発では間に合わないので、朝二番の9時25分発のバスに乗り込んだ。乗客は他に40歳代の夫婦のハイカーがいただけだった。鳥坂トンネルの出口で我々が下りるとバスは二人だけになった乗客を乗せて走って行った。いったいどこに登るのかしらと思いながらバスを見送った。
 稜線の積雪は多い所で10cmだった。南側になると地面が見えているところもあった。登山者の足跡は途中までで、いつの間にか無くなってしまった。その代わり動物の足跡が頻繁に稜線を横切っていた。山頂の春日沢ノ頭に着くと積雪は約15cmで他の場所より少し多めだった。一週間前の我々の足跡が少し残っていた。
 春日山を通り、黒坂峠からは防火帯の登りになった。約15cmの積雪で急斜面だった。下に木が無いので滑り落ちそうな感覚になった。横の木の間を登った。その後、ピークをいくつか越えても防火帯は続いていた。防火帯上の小さなピークに有った倒木に腰掛けて休んだ。雪の無い時は倒木は邪魔なだけだが、雪に覆われている時は、腰掛けになりありがたかった。
 防火帯が終わると林道に出た。林道を芦川支所へ下山した。結局、この日、山中では他の登山者には会わなかった。最終の17時発のバスに乗り込むと、途中の上芦川で、行きのバスで一緒だった夫婦が乗り込んできた。どこに登ったのかしらと思いつつも、声をかけなかった。

鷹取山の壁2018/02/17 17:59

鷹取山山頂直下の壁
 神武寺駅から車道を歩き、中学校の先から谷間の山道に入った。岩の多い道だった。途中で小犬を連れた20代の男性に追いつかれた。「散歩コースですか」と聞くと「最近、ここがお気に入りで毎日来るんです」との返事だった。可愛い犬で、我々の靴の臭いをかいで怪しくないと判断したらしく、飼い主と一緒に登って行った。
 神武寺前は広場になっていた。広場にはリスが3匹いた。神武寺からは照葉樹やコナラの茂る岩の稜線を進んで行った。ツバキもあちこちで咲いていた。足元にはドングリが多く落ちていた。時折、リスが木の根元の落ち葉でカサカサと音をたてながら動いていた。
 たどり着いた鷹取山直下の広場の周囲には採石跡の壁がたくさん有った。壁にはロッククライミングの跡らしい穴がたくさん有り、見るも哀れな感じを受けた。壁の下部には一般者の立ち入り禁止を示す看板が立っていた。
 壁の横から階段を登ると山頂の展望台に着いた。中央にベンチが有ったので座って昼食休憩にした。おにぎりを食べながら東京湾と房総半島の展望を楽しんだ。風が少し冷たかった。

潮騒(しおさい)の島に登る2018/02/23 13:34

カルスト地形
 伊勢湾の入口にある神島は三島由紀夫の小説「潮騒(しおさい)」の舞台となった島で、灯明山は、その最高点だ。港から200段を越える長い階段を上がると神社で、さらに道脇の水仙を見ながら歩道を登ると灯台に着いた。60歳代の夫婦の観光客がベンチで休んでいた。水仙の咲く斜面の向こうには海がきれいに見えた。三島由紀夫の「潮騒」の一節が記載された案内板が有った。灯台の光が間欠的に恋人同士の顔を照らす場面を描いた文章だった。何の変哲も無い古びた灯台を見て、こんな文章を思い描くとは、たいしたものだと感心した。
 灯台から一登りすると灯明山山頂で樹林に囲まれた地味な場所だった。山頂から下って行くと戦前に使われていた監的哨(かんてきしょう)の跡で、伊良湖岬側から撃った試弾の着水地点を確認するために作られた施設だった。観光用にきれいに整備されていた。恐らく三島由紀夫が訪れた頃は、もっと汚れていただろう。ここにも「潮騒」の一節が表示されていた。監的哨の中でたき火を挟んで主人公の二人が濡れた体を乾かすシーンだった。20歳の頃に読んだこの小説を思い出した。この古い建物を見て、このシーンを描くとはたいしたものだとあらためて思った。ちょうど20歳位の男女の観光客が来たので入れ違いに出発した。
 監的哨を下って行くとカルスト地形で海を背景に白い岩がきれいだった。ここにも三島由紀夫の一節を書いた案内板が有った。ここでは前の二つに比べて霊感が働かなかったらしく、あまり風景とは関連しない文章が書かれていた。天才は凡人が何も感じないところでは才能が遺憾なく発揮されるけれど、凡人がきれいだと感じるところでは、さほど才能が発揮されないようだと思った。
 島を一周して、「潮騒」を再度読んでみたくなった。ただ、20歳の頃とは感じ方が違うだろう。我々にとっては、むしろ老年期を迎える主人公を描いた小説の方が感動が大きいかも知れないと思った。

水仙咲き乱れる菅島2018/02/25 17:30

菅島灯台
 神島へ行った翌日は、鳥羽への途中にある菅島に寄り、菅島大山に登ることにした。菅島港で連絡船を下り、コンクリート舗装された車道を登って行った。途中から山道に入ると紅葉した紅ツゲの潅木が多くなった。海の眺めが良かった。
 山頂からは稜線を東へ向かった。紅葉した紅ツゲがきれいだった。正面には、今朝、出発して来た神島が三角形に見えた。風に吹かれながら稜線を進んだ。やがて標高が低くなって照葉樹林帯に入った。
 照葉樹林に囲まれた山道を進んで行くと遊歩道に出た。しばらく進むと菅島灯台に着いた。ちょうど見頃の水仙が咲き乱れていた。レンガ造りの灯台の根元にはベンチが有った。座って昼食休憩にした。水仙の香りに包まれて海を眺めながら、神島の宿で作ってもらった「たこ飯のおにぎり」をおいしくいただいた。
 食後は遊歩道を更に進み、「しろんご浜」に出た。静かな海を伊勢湾を渡るフェリーが滑るように通って行った。「しろんご浜」から車道を港に戻る途中で30歳位の女性観光客2人組とすれ違った。「この先に何かありますか?」と聞かれたので「灯台があります。とてもきれいです。」と教えてあげた。

三峯(みつぼ)のスキーヤー2018/02/26 17:27

ゲレンデ上部の林道から海を望む
 泊駅からのタクシーを笹川上流の雁蔵(がんぞう)集落で下山した。作業現場の飯場のような建物の軒下を借りてスキーの準備をしていると、中から50歳くらいの男性作業者が出てきて声をかけてきた。上のスキー場跡を通って反対側に下る事を説明すると、「昔、上のスキー場で滑ったことがある」と懐かしそうに話したくれた。
 雪の積もった林道をスキーで登って行った。先行者一人のスキーのトレースが有った。かつての三峯(みつぼ)スキー場近くまで来るとスキーヤーが二人いた。一人は下りてきた40歳位の男性で、すれ違った時に聞くと「上まで一度行って滑ってきた」と言っていた。もう一人は途中でトレースが合わさったので別のルートから登ってきたらしく、少し前を登っていた。ゲレンデを登って行くと山腹を横切る林道に出た。海を見ながら休んでいると前を行っていたスキーヤーが下りてきた。65歳くらいの男性で「今日は良い天気ですね」と声をかけられた。ターンを描きながらゲレンデを下りていった。
 林道から急斜面を登ると最初のピークで休憩小屋が有った。海の眺めが良かった。せっかくなので稜線伝いに地形図に標高記載の有る337mピークまで行ってみた。途中は少し起伏がありクロスカントリー用のスキーでは歩きにくかった。樹林に囲まれた337mピークで一休みした。休憩小屋のあるピークまで戻ってくると70歳くらいの女性スキーヤーがいた。「どこまで行ったのか」と聞かれたので「すぐ先のピークまで」と言うと「南保(なんぼ)富士まで行ったのかと思った」と言われた。とすぐ下の集落を示して「あそこに住んでいる」と教えてくれた。東京から来たことを告げると「この付近には良い山がたくさんある」と山名をいくつか上げて説明してくれた。残念ながら知っている山は一つも無かった。「道を付けるのが好きな人がいて、最近はどの山にも道が有る」との事だった。女性は新雪の積もった斜面をターンしながら華麗に滑り下りていった。
 一方、私の方は、急斜面を転びながら何とか途中の林道まで下った。この先、転がりながらゲレンデを下りたくなかったので、林道を迂回して下山する事にした。