戦場ヶ原を滑る2018/03/01 17:10

男体山を見ながら戦場ヶ原を滑る
 光徳温泉で一泊して奥日光のクロスカントリースキーを楽しんだ。週末は100人以上来たとの事だったが、この日は平日で、10人ほどがすいたコースを思い思いに楽しんでいるだけだった。
 宿泊は8組だった。うち2組は小学校低学年位の子供連れの欧米系外国人だった。好天に恵まれたホテル前で、小さい子供達を連れてクロスカントリースキーを楽しむ姿は、ほほえましたかった。
 二日目は戦場ヶ原まで足を伸ばした。戦場ヶ原に行く途中でホテルに宿泊していた二人の子供を連れた外国人男性とすれ違った。小さな女の子とは言え、我々より上手に滑り、あっという間に過ぎ去っていった。
 戦場ヶ原は広々とした雪原で誰もいなかった。男体山の展望を楽しみながら、歩くより遅いスピードで、ゆっくりスキーを滑らせた。

諏訪之瀬島2018/03/18 15:15

諏訪之瀬島の登り
 諏訪之瀬島(すわのせじま)の人口は18年2月末現在で68人。鹿児島との間に週に2往復の定期船がある。中央部に火山の雄岳(おだけ)があり、噴煙を上げる火口から1kmは立入禁止になっている。島には商店は無い。
 鹿児島からの定期船は諏訪之瀬島の東海岸に沿って進んで行った。白い噴煙を上げる荒々しい火口が見えた。港では我々を含め数人が下船した。60歳くらいの宿の主人が迎えに来ていた。「荷物が来ているかも知れないので少し待ってくれませんか」と言われ、船から荷物が下ろされるのを待った。前回の一往復が悪天候で欠航になったせいか荷物は多めだった。それでも10分もかからずに積み下ろしは終わった。期待に反して荷物は無かったようで、宿の主人は手ぶらのまま車に乗り込んで来た。高さ3mほどの竹藪に囲まれた道を車で5分ほど走り、集落に着いた。「これは村営住宅です」と真新しい4棟ほどの住宅を示して説明してくれた。「郵便局が4月にできるんです」と向かいにある新しい小さな建物を示して説明してくれた。
 宿に荷物を置き、御岳に向かって歩き始めた。牧場に出たところで宿の主人が車で追いついてきた。「こちらの道はあまり使われていないので車道を登った方が良い」と勧めてくれた。予定を変更し、勧められるまま車道を標高300m過ぎまで登った。登山道に入ると道は良く整備されていた。尾根に出ると溶岩の岩場になった。赤いペンキマークで道が示されていた。ソーラーパネルとアンテナの付いた地震計を過ぎると、ペンキマークも無くなり、荒々しい岩だらけの尾根になってしまった。歩きやすそうな所を選んで登った。岩の間には火山灰が詰まり、見た目よりも歩きやすかった。火口から1km手前に着くと旧火口を見下ろす位置に出た。「立入禁止」の看板が立っていた。旧火口には茶色い水がたまっていた。山頂方面には白い噴煙が反対側から立ち登っていた。
 翌朝、船の切符を買いに役場の出張所に行った。途中の郵便局でポストを見ると、まだ、手紙の挿入口がテープで封印されいた。開業に備え、集荷時間だけは出航日の午前10時であることが記載されていた。役場出張所には意外にも次々人が訪れていた。50歳くらいの女性は「請求書が来ているよ」と言われてお金を支払っていた。仕事で来ている35歳くらいの男性は郵便物を受け取っていた。

口之島を歩く2018/03/19 13:15

口之島の野生牛
 トカラ列島二つ目の口之島は港そばの民宿に2泊した。初日は港近くのフリイ岳に登り、島北端の赤瀬まで歩いた。空気の澄んだ日で屋久島が良く見えた。帰りには海に沈む夕日を眺めた。二日目の午前は島中央部の横岳とタモトユリ展望台から海の展望を楽しんだ。
 午後は、宿から30分ほどの集落にある役場出張所に翌日の船の切符を買いに行った。あいにくと出張所の職員は外出中で、急ぎの場合は電話を入れるよう表示がしてあった。電話をすると「すぐ戻る」との返事だった。5分ほどすると35歳くらいの男性職員が戻って来た。切符購入後、島の見どころを尋ねると、ほとんど行ったところばかりだった。そこで、島の南部に野生牛を見に行くことにした。
 集落から40分ほど緩い坂の車道を登って行くと柵が有った。野生牛が人家や牧場の方に来ないようするための柵だった。柵をくぐって進むと、とたんに道ばたの牛糞が増えてきた。荷台に草のような物を積んだ軽トラックが追い抜いていった。5分ほど歩くと前方に4頭の野生牛、下の草地にも1頭の野生牛がいた。下の牛は、しばらく我々を見た後、何事も無かったかのように森の中に消えていった。しばらくすると先ほどの軽トラックが前方の牛の間をやってきた。運転していた50歳くらいの男性に「どこまで行くんですか」と聞かれたので「牛を見に来た。すぐにいたのでびっくりした」と答えた。「今の時期は食べ物が少ないので道まで出てくる」との説明だった。「港から歩いてきた」と言うと驚いていた。荷台が空になっていたので「牛のエサか何かを積んできたんですか」と聞くと「藻を捨てに来た」との返事だった。
 集落まで戻り道横の縁石に座って休んでいると、黄色い帽子をかぶった3人の幼稚園児が、お母さんと一緒にやってきた。「あそこに人がいるよ」と一人の子供が我々を見つけて言った。お母さんに「お話ししてごらん」と言われたので近づいてきた。「どこに行ったの」と聞かれたので「野生牛を見てきた」と答えた。お母さんは「歩いて行ってきたんですか」と驚いていた。「牛触ったの」と子供に聞かれたので「大きくてちょっと怖かったので触らなかった」と答えたら「牛は触れるんだよ」と教えてくれた。

中之島を歩く2018/03/20 10:15

底なし沼から御岳を望む
 トカラ列島最後の訪問地、中之島には朝着いた。港から直接、御岳に登り始めた。山へ向かう登りの車道に入るとすぐに野生のヤギがいた。我々を見ると逃げて行った。しばらくすると車が1台追い抜いていった。8合目にある登山道入口まで登ると先ほどの車が停まっていた。30歳代の作業者が3人いた。アンテナの保守で来たとの事だった。「ここまで歩いてきたんですか。時間はどれくらいかかりましたか?」と聞かれたので「3時間位」と答えた。山頂まで登ることを伝えると、「最初は笹が高いけれど山頂近くになると膝下くらいになるので笹の高さで標高が分かります。火口には地元の人が道を付けているので下りられます」と説明してくれた。
 30分ほどで火口の縁に着いた。水蒸気がもうもうと上がっていた。火口壁を10分ほど登ると山頂に着いた。風が強かった。海から一気に高くなっているので高度感が有った。隣の口之島が低く見えた。火口から上がる水蒸気には迫力が有った。水蒸気が多いので火口に下りるのはやめにした。
 港に戻り島の中央部の台地にある馬牧場を目指した。途中で軽乗用車が止まり運転していた30歳位の女性に「これから民俗資料館に行くんですか?」と聞かれた。「馬を見に行くんです」と伝えると「子供を迎えに行くので、今、民俗資料館は閉まっているけど、戻って来たらすぐ開けるので良かったら寄ってください」と勧めてくれた。馬牧場、民俗資料館、天文台の三つを一人で管理しているとの事だった。馬牧場の少し手前まで歩いた時に先ほどの管理人さんの車は戻ってきた。馬牧場では広い敷地に馬が10頭ほど散らばっていた。民俗資料館から管理人さんが馬のエサをバケツに入れて出て来た。バケツをカタカタ鳴らすと馬が集まってきた。「冬場は食べ物が少ないのでエサをあげているんです。ここにいるのは全部雌でおなかには赤ちゃんがいるんです。夏頃生まれると思います。雄は道の反対側にいます。」と説明してくれた。民俗資料館にも寄ってみた。入館ノートを見ると前日には訪問者が二組いた事が分かった。
 宿に荷物を置いた後、御池(別名底なし沼)まで散歩しに行った。途中で1台の軽トラックが追い抜いていった。沼の手前に民家が5-6軒有った。そのうちの一軒から先ほどの軽トラックの運転手が出てきた。「どこまで行くんですか」と聞かれたので「底なし沼までです」と答えた。宿泊場所を伝えると「あそこからなら近いですね」と納得した様子だった。「よかったらバナナをどうぞ。冬なのであまり甘くないんですけれど」と島の小さいバナナを4本くれた。底なし沼からは御岳が水に映ってきれいだった。宿に戻ってバナナをおいしくいただいた。

藺牟田池(いむたいけ)に行く2018/03/21 11:45

外輪山から藺牟田池を望む
 藺牟田池は薩摩川内市の東部にあり、池の周りの外輪山を一周する登山道が付けられている。池はラムサール条約に登録されていて水鳥が多い。藺牟田池を目指し、川内駅から鹿児島空港行きのバスに乗り込んだ。バスは15人ほどの乗客だった。30分ほど乗った藺牟田温泉で途中下車したのは我々だけだった。車のほとんど通らない車道を45分登ると藺牟田池の駐車場に着いた。あずまやと売店があった。池には白鳥が4羽いた。カモも泳いでいた。
 登山道に入り、ピークをいくつか過ぎると竜石(たついし)に着いた。祠と大きな岩が有った。眺めの良い場所で藺牟田池や周囲の山々が見えた。数分すると65歳くらいの男性が追いついてきた。「桜島が見えますね」と伝えると「あちらには霧島が見えます」と教えてくれた。宮崎に住んでいて「いつもは霧島に登るんだけれど、噴火しているのでこちらに来た」との事だった。「下にも眺めの良いところがありますよ」と下りていった。我々は下りずにそのまま昼食タイムにした。しばらくして戻って来た男性は「もぐもぐタイムはどうですか」と持参のイチゴを我々に勧めてくれた。おいしくいただいた。以前、関東に住んでいたが、定年退職で宮崎に戻って来たとの事だった。どこから来たか尋ねられたので「東京からです」と答えると驚いていた。「トカラ列島の帰りです」と伝えたがトカラ列島の事は知らない様子だった。
 外輪山を一周して駐車場まで戻るとバスが停まっていた。ここまで路線バスが来ているとは認識していなかった。運転手に尋ねると、20分後に出発で川内駅まで行くとのことだった。藺牟田温泉まで歩いて下る予定を変更して、このバスに乗る事にした。
 市が補助しているバスは料金150円だった。行きよりも少し遠回りして1時間あまりかって川内駅に着いた。終点まで他の乗客は乗ってこなかった。

ミツバ岳で昼食休憩2018/03/29 16:34

ミツバ岳から富士山を見る
 新松田駅からバスは30人ほどの乗客で混雑していた。丹沢湖畔の浅瀬入口バス停で25人ほどが下車すると、バスはすっかり少なくなったお客を乗せて西丹沢自然教室へと走り去って行った。大勢の登山者には先に行ってもらい後からゆっくりと歩き出した。トンネルをくぐると湖畔の道になり白い富士山が行く手の谷間に見えた。滝壺橋の登山口周辺の駐車場にも20台ほどの車が停まっていた、この日は登山者が多そうだった。
 山道に入ると植林帯の急登になった。黄色いミツマタがあちこちで咲いていた。時々登山者とすれ違った。やがて葉を落とした広葉樹の雑木林になった。いったんミツマタの花は少なくなった。山頂手前で同じバスから降りた60歳代の19人の団体とすれ違った。これはもしかすると山頂は静かかも知れないと期待した。
 ミツバ岳山頂はミツマタの花に囲まれた広い場所だった。山頂標識近くには誰もおらず静かだった。それでも周囲を見回すと20-30m程離れたところにミツマタの花に囲まれて数人の登山者がいた。倒木の上に腰を下ろし、ワインで乾杯して昼食休憩にした。
 やがて山頂の西寄りにいた60歳くらいの女性登山者がやってきた。「こちらから富士山が見えますよ。雲が出てきて隠れそうなんですけれど一人で見ているのはもったいないので知らせに来ました」と教えてくれた。女性の休んでいたところに来るとミツマタの花の先に半ば雲に隠れた富士山が見えた。