KRN山の山小屋2018/08/02 18:45

Kuhinja小屋
 KRN(クルン)山 2244m山頂からは北東側にスロベニアの峨々たる山々(ユリアンアルプスと呼ぶ)が一望できた。一方、南西側は一気に標高200mほどのSOCA(ソチャ)川まで落ちていた。あたかも甲斐駒の山頂から中央線の走る谷を見ているような高度感だった。谷までの間はカルスト地形になっていて、白い岩の間に緑の草原が広がっていた。ところどころには牛がいて牧歌的雰囲気がした。宿泊予定のKuhinja小屋は中間の標高1000mほどの所にあり、まだまだ小さく見えた。
 草原の花々を見ながらゆっくり下り、小屋には18時過ぎに着いた。テラスに赤い花が飾られていた。ベンチには登山を終えた日帰り客が二人ほど休んでいた。あいにくと小屋の主人は、英語が通じなかった。ここには車道が来ているので、翌朝はタクシーを呼びたかった。タクシーを使いたい意思を伝えると、「7時にバスがある。」と壁に貼られた時刻表を指し示して教えてくれた。朝7時と夕方17時台の二本のバス時刻が書かれていた。ここまでバスが来るとは調べ切れていなかった。バスに乗るためには朝食を早めに作ってもらう必要が有る。6時の朝食をお願いしようとして四苦八苦した。バスが有ることがうまく伝わらなかったと勘違いした主人は翻訳ソフトで「7時にバスが出発します」との日本語表示をモニタに出してくれた。こんなところでモニタの日本語表示を見たのでびっくりした。「それは分かっているんだけれど」と思いながら、やりとりを重ねた。やっと6時に朝食を作ってくれる事を確認した。水をどこで手に入れるのか聞くため、空のペットボトルを指差して飲むまねをしたら、外の水場を指差して教えてくれた。
 夕食前、覚え立てのビールの銘柄名「ラシュコ」と言うと、「おお、ラシュコ」と言いながら機嫌良く冷蔵庫から500ccの瓶ビールを出してくれた。食後にテーブルに並んでいたケーキのうちの一つを指差して注文すると、奥さんが「スロベニアのケーキも有る」とスロベニア語で言いながら奥から一見シュウマイのような形の冷凍されたお菓子を出してきた。注文すると10分ほどして暖めたお菓子を出してくれた。おいしかった。
 翌朝、町からやってきたバスには15人ほどの乗客が乗っていた。これから山頂まで日帰りで登る人たちらしかった。一日、二本だけのバスを利用して山登りする人も結構いて、KRNは人気の山だと思った。

お花畑に囲まれたPrehodavcih小屋2018/08/03 17:44

Prehodavcih小屋の冬期小屋
 トリグラウ(Triglav)に近いKredarici小屋からの下りは、あちこちに雪渓が残っていた。ワイヤーの岩場も所々にあった。途中のDolicu小屋では管理人が雪渓の雪をバケツに入れて溶かしてトイレ用の水を作っていた。谷間の道には、黄色いポピーのような花や紫のイブキジャコウソウのような花が咲いていた。白い岩の間にはマーモットがいた。
 宿泊予定のPrehodavcih小屋は、お花畑に囲まれた別天地のような所だった。小屋前の草地に寝そべっている人は、あたかも花の中に埋もれているかのようだった。100mほど下には氷河湖が見えていた。事前に電話がうまくつながらなかったので宿泊の予約はできていなかった。受付の20代の女性には、「キャンセル待ちになるので18時まで待ってほしい」と言われた。外のベンチで花を見ながら休んでいるうちに「キャンセルが出た」との知らせがあり、18時前に離れの冬期小屋(Winter Room)のベッドが確保できた。冬期小屋は1階が倉庫で2階が宿泊部屋になっていた。2階の方が広いので遠目にはマッシュルームのような形だった。トイレは母屋から30mほど下の離れた場所に有り、母屋の人も使っていた。夕食は母屋の食堂だった。ドイツ人家族の隣りになった。我々を一昨日の小屋で見たとの事だったが、思い出せなかった。「Trigravに登ったか」と聞かれたので、「Yes」と答えると、「おお」と感激してくれた。どうやら彼らは子供達と一緒なので登ることができなかったらしかった。
 夕食後、トイレから冬期小屋に戻ろうとしていると、目の前にアイベックス(大きな角を生やした鹿)が現れた。びっくりした。後ろを振り向くと小屋の人たちもこちらを見て写真を撮っていた。「このままだと彼らの写真には私とアイベックスが映ってしまうな」と思ううちに、アイベックスはゆっくりと湖の方に下りて行った。
 翌日も良い天気だった。次々現れる氷河湖を眺めながら下った。途中のTriglavskih jezerih小屋ではマッシュルームスープをおいしくいただいた。ちょうどヘリコプターの荷揚げが始まったところで、居合わせた登山者は珍しそうに写真を撮っていた。荷揚げは繰り返されたので、4回目になる頃には誰も見向きもしなくなった。この小屋は水が無料だった。水筒に水を満たしてからボーヒン湖に向け谷を下って行った。

静かな蝙蝠岳山行2018/08/09 18:00

塩見岳
 二軒小屋からの登りはシラビソやダケカンバの樹林帯だった。初日は徳右衛門岳山頂直下にテントを張った。水場を往復して水を補充した後、テントのそばにマットを敷いて屋外で夕食を作って食べた。食事が終わり、日没前にテントに入ると雨が降り出した。雷も鳴った。近くに来ているようで、稲光と雷鳴がすさまじかった。横になってじっと耐えた。9時頃になって、ようやく雷は鳴り止んだ。
 翌朝、雨はやんでいた。登るに従って霧になり、少し霧雨も降った。森林限界を出た時には視界は100m程だった。消えそうな赤ペンキ印を見つけながら登った。霧のせいか蝙蝠岳山頂直下には雷鳥の親子がいた。
 縦走路の仙塩尾根に出たところで、初めて人に会った。仕事で蛾の調査をしている4人組の人たちだった。蝙蝠岳から来たことを伝えると、「雷鳥はいましかた」と聞かれた。塩見岳を越え、宿泊する塩見小屋には15時半に着いた。台風が近づいていることもあり、小屋番のO氏には「もう来ないかと思いました」と言われた。アルバイト男性に「蝙蝠岳では雷鳥を見ましたか」と聞かれた。蝙蝠岳は雷鳥の目撃情報が多い様子だった。「塩見岳西峰の下でも時々目撃情報がある」との事だった。我々以外の小屋の宿泊者は6人だけだった。
 翌朝は快晴だった。展望を楽しみながら三伏峠まで下った。三伏峠で急に天気が悪化し雨になった。鳥倉登山口のバス停に着いた時はずぶぬれだった。バスの中でレインウェアを着替えた。この日、すれ違った登山者は5人だけだった。バスの乗客も我々だけだった。静かな蝙蝠岳山行だった。

南岳小屋2018/08/13 13:30

天狗池
大キレットを目指して天狗池経由 南岳小屋まで来ました。
今日は、ここでテント泊します。霧で時々雨の一日でした。
テントの外は雨。衣服が湿って気分悪いです。

大キレット踏破2018/08/14 09:03

北穂高岳より
無事、大キレットを踏破して北穂高岳に到着しました。
良い天気に恵まれてラッキーでした。小屋でコーヒーを飲んでくつろいでいます。

大キレットを歩く2018/08/17 14:40

大キレットと槍ヶ岳
 槍ヶ岳へ向かう道と分かれ南岳への道に入ると人がめっきり減った。静かになった道を氷河公園まで登った。天狗池からの槍ヶ岳はあいにくと雲の中だった。休んでいるうちに雨が降り出した。レインウェアを着て登り続けた。気が滅入るような本降りの雨になった。横尾尾根のコルで一休みしながら、このまま登るかどうか少し迷った。ちょうど、青いレインウェアを着た35歳位の細身の女性が下りてきたので稜線の様子を尋ねた。「稜線は風はそれほどは強くはない」との事だった。「槍ヶ岳から南岳小屋まで行って、コーヒーを飲んでから下りてきたけれど、南岳小屋では土砂降りでした。台風が心配で一日早くしたけれど、来る日を間違えましたね~」と話していた。「少しどうするか考えます」と返事して別れた。迷っているううちに小降りになってきた。気を取り直して登り続ける事にした。稜線に出てからは霧の中を南岳小屋まで歩いた。テントを張って休むうちに土砂降りになった。
 翌朝は前日の雨が嘘のように晴れていた。ヘルメットをかぶり、「大キレット」の名前を意識して少し緊張しながら歩き始めた。最低コルを越え、後半になる頃に、ようやく慣れて落ち着いてきた。長谷川ピークでは、ちょうど反対側に歩く人たちとのすれ違いが有り、手も使って四つん這いになりながら岩の上で交叉した。「A沢コル」のベンチで一休み後は、急な登りが続いた。一箇所、腕力も使いながら登る岩場が有った。最も難しかったところで、ここが「飛騨泣き」だろうと思った。やがて北穂高小屋が頭上に見えてきた。見えた後も急登が続き、なかなか小屋は近づかなかった。
 ようやく北穂高小屋のテラスに着いた。緊張感から解放され、歩き通した達成感を感じた。テラスでは大キレットを歩いてきた人たちがコーヒーやビールを飲みながら思い思いに休んでいた。コーヒーを注文し、テラスで通ってきた大キレットを眺めながら休んだ。テラスから下をのぞき込むと、こちらに向かってくる人たちのヘルメットが見えた。大キレットの先の槍ヶ岳は、あいにくと雲の中に隠れてしまった。
 コーヒーを飲みながら絶景を楽しむうちに、あっというまに45分ほどが経過した。いつの間にか霧が出てきた。テラスを出発する頃には絶景はすっかり霧に覆われてしまった。

北八ヶ岳の池廻り2018/08/21 15:15

雨池
 大勢の登山者で賑わう北横岳を出発し、亀甲(きっこう)池に向かうと、とたんに人が少なくなり静かになった。亀甲池には数人の登山者が休んでいた。更に小さな峠を越えると目的の双子池だった。池の水は少し多めで「キャンプ指定地」の標識の根元まで水に浸かっていた。樹林の斜面には、すでに20張りほどのテントがあちこちに張られていた。我々も少し斜めになった場所にがまんしてテントを張った。小屋で購入したビールで乾杯し、メンバーの持ち寄ったお刺身、パスタ、手造りの茄子煮浸しをおいしくいただいた。
 翌朝、鏡のように静まりかえった池には少し霧がかかってきれいだった。荷物を置いて双子山まで往復した。広々とした山頂からは蓼科山が間近に見えた。展望を楽しんでいると双子池から60歳代の男性が登って来た。声の大きいがっしりした体格の男性で「岐阜から来た」との事だった。「あちらの山は何ですか」と尋ねて来たので奥秩父の山々を教えてあげた。双子池に戻り、荷物を回収して雨池に向かった。途中の林道には、水場が有った。水量が豊かだった。冷たい水を使ったコーヒーをおいしくいただいた。
 シラビソの緩い坂を登り越すと視界が急に開け雨池に着いた。結局、双子池から雨池に着くまで誰にも会わなかった。池のほとりで荷物を下ろそうとしていると、小さなザックを背負った30歳位のほそおもての女性が、反対方向からちょうどやってきた。久しぶりに会う登山者に挨拶すると、「麦草峠にはどちらに行けば良いんですか」と手に持った登山地図のコピーを見せながら聞いてきた。地図を90度横向に見せられたせいで、一瞬、頭が混乱した。すぐ冷静になり「麦草峠はちょうど池の反対側で、このまま池を半周すれば、峠への道が有ります。すぐそこに双子池への分岐が有りますが、そこは、まっすぐ池に沿って行けば良いんです」と教えてあげた。
 静かな雨池を後にし、雨池峠を越えてロープウェイ駅が近づくと、再び喧噪に包まれた。はしゃいだ子供達が何度も「ヤッホー、ヤッホー」と叫んでいた。

スロベニア、サビチャの滝の山小屋2018/08/23 18:54

Savici小屋
 スロベニアのトレッキング後半は、「サビチャの滝」近くのSavici小屋の宿泊から始まった。ここまでは、ボーヒン湖からのバスの移動だけでなので全く歩く必要はなかった。小屋の外見は納屋のような雰囲気の建物で、部屋は2階にあった。2階に上がると、靴は入口で脱ぐようなっていて部屋は清潔だった。すでに2人の先客がいた。20代のフランス人カップルで、いきなり「こんにちは」と日本語で挨拶された。食事は小屋に併設のレストランで食べた。夕食は鱒料理を注文した。おいしかった。スロベニアのお菓子も進められたが、おなかがいっぱいになったのでやめておいた。
 翌朝、「卵や肉料理でないものを」と、お願いすると、シリアルとヨーグルトを出してくれた。昨晩あきらめたスロベニアのお菓子、シュトルクリ(カッテージチーズを使った焼き菓子 1個5ユーロ)を注文した。温かいお菓子でおいしかった。宿泊料金は1泊2食付きで、お菓子も含め3人で117ユーロだった。カードが使えないので現金で支払った。
 支払い後、3人合わせて持っていた現金を確認すると350ユーロしかなかった。これからの3泊の山小屋が現金しか使えないと少し心もとない金額だった。Savici小屋の主人に聞くと「上の山小屋もカードは使えないだろう」との返事だった。カードのATMの場所を尋ねると、「8キロ離れた町中にある」との事だった。本当にカードが使えないか、山小屋に電話して調べる事にした。まず、2泊目に行く山小屋に電話すると「カードは使えるが、通信状態が悪い時があるので現金も持ってきてほしい」と言われた。心もとないので、最後に泊まる山小屋に電話してみた。英語が通じなかった。英語で何度か聞いて、どうやら使えそうな感じがした(後で間違いと分かる)。最後に、一番初めに泊まる予定の山小屋に連絡すると「カードは使える」との返事だった。ようやく安心した。
 すぐに「サビチャの滝」の入口に着いた。入場料は一人3ユーロだった。念のため3ユーロを節約し滝見物は断念する事にした。