只見町の村杉岳で会ったスキーヤー2019/05/02 18:00

1508m峰からの下りでスキーヤーに抜かされる
 ゴールデンウィーク前半は福島県只見町の残雪の山、村杉岳に登った。快晴の村杉岳山頂からは我々が登って来た稜線が良く見えた。下のピークには、我々のまっすぐなトレースの他に、もう一つ蛇行しているトレースが有った。曲がり方が不自然なので熊の足跡かも知れないと思った。
 村杉岳を出発し、次の1508m峰に着いた。村杉岳よりわずかに低いだけで、こちらも展望が良かった。1508m峰は下山ルートへの分岐点になっていて、我々も、北の大川猿倉山から戻った後は、ここから南西方向への下山ルートに向かう予定だった。しばらく休んでいると村杉岳から一人のスキーヤーが我々の方に向かって滑って来るのが見えた。蛇行したトレースは熊ではなく、このスキーヤーのものだったと分かった。登り返しが少しあるので、到着にはしばらく時間かかりそうだった。おそらくスキーヤーは下山ルートを進むのだろうから、我々とは会うことは無いだろうと思いながら1508m峰を後にした。
 出発してしばらくすると、びっくりしたことにスキーヤーが我々に追いついて来た。日焼けした中背の若者でショートスキーを履いていた。背中にはピッケルを付けた40リットル位のザックを背負っていた。朝、駐車場を出発し、日帰りで往復するとの事だった。前日の天気の事を聞かれたので「みぞれから雪になり、ひどい天気だった。テント泊した」と伝えた。我々のテントの跡には気が付いたとの事だったので同じルートを登ってきた様子だった。「本当は前日に出発するつもりだったけれど天気が悪かったので日帰りにしました」と言っていた。どこまで行くのか尋ねると、「この先で引き返します」との返事だった。我々を追い抜くと、さっと先へ滑って行った。
 急坂を下りブナ林の鞍部で休んでいると、先ほどの若者が戻ってきた。やけにスムーズに登り下りしているので、「シールを付けないで登っているのですか?」と尋ねると、「シールは付けっぱなしなんです。下りは結構滑りづらいんです」と片足を持ち上げてスキーの底面を見せてくれた。若者は我々に挨拶を終えると、スキーを履いたまま急坂を登って行った。

雨と雪の村杉岳2019/05/03 09:40

登り途中のテント
 村杉岳への出発日は雨だった。家から傘を差して駅まで歩いた。ところが不覚にも途中のJR車内に傘を置き忘れてしまった。幸先の悪いスタートだった。
 登山口の奥只見丸山スキー場に着いた時も雨だった。気温は低く、今にもみぞれに変わりそうだった。レインウェアを着て出発した。雪は1m近く積もっていた。雪の尾根を登るうちに雨はみぞれに変わって行った。テント場に着いた時は雪になっていた。衣類はすっかり濡れていた。夜は湿った服のままで寝袋に入った。翌朝のテント内の室温は4℃だった。テントの周りには約10cmの新雪が積もっていた。さほど冷え込まなかったにもかかわらず、湿った寝袋のせいで寒くてよく眠れなかった。
 二日目は幸い好天だった。稜線まで登ると新雪は深くなり約20cmになった。普段より苦労して一歩ずつ登った。木々には霧氷が着き、朝日に輝いてきれいだった。朝日が当たって暖かくなると木の枝から霧氷がばらばらと落ちてきた。きらきら輝きながら落ちてくる霧氷の中を登って行った。
 苦しくも楽しかった山行を終え、帰宅してシャワーを浴びる時に、足先がすっかりしもやけになっている事に気が付いた。濡れた靴下を履いたまま冷えた新雪の山を登って行ったせいだった。替えの靴下がもう一枚必要だったと思った。

只見町の村杉岳からの下りで道迷い2019/05/04 17:06

大川猿倉山手前のテント
 村杉岳から1508m峰を経由して北へ向かう稜線は途中からヤブになった。枝をかき分けながら歩いた。テントを張れる良い場所は、なかなか見つからなかった。4時間ほど歩いた大川猿倉山山頂まで標高差100mの所で、やっと良い場所が見つかった。すでに5時近かった。斜面を整地してテントを張った。
 翌朝は荷物をテントに置いて、まず大川猿倉山山頂まで登った。計画では更に北の稜線を進む予定だった。ところが大川猿倉山から50mほど下った所で稜線が切れ落ちて進む事ができなくなってしまった。あきらめて引き返す事にした。テントを回収し、再びヤブをかき分けて歩き、1508m峰まで戻ってテントを張った。
 最終日は雨だった。最初は快適なブナの尾根の下りだった。雪の上にはブナの実がたくさん落ちていた。やがて尾根が不明瞭になった。雪も少なくなり、ところどころヤブになった。霧も出てきて進む方向が分からなくなり、何度もGPSで確認した。登り下りを繰り返しているうちに、また自分たちの足跡の所に戻ってがっかりした。やがて霧が晴れ左手上方に明瞭な尾根が見えた。舌打ちしながら急坂を登り返し、ようやく正しい尾根に入る事ができた。行ってみると先ほど途中まで下って引き返した所だった。谷間では、GPSもずれが大きくなり必ずしも当てにできないと再認識した。
 何とか無事にダム管理道路まで下りることができ、あとは管理道路を歩いて戻るだけだった。雪の積もった道路は歩きにくかった。疲れも出て奥只見丸山スキー場までの3時間弱が長かった。

十津川村の玉置山から熊野本宮へ2019/05/16 17:41

玉置神社
 5月8日から10日にかけてユネスコの世界遺産に登録されている大峰奥駈道の最南部を歩いた。中心となるのは玉置山とその直下にある玉置神社だった。
 北から向かうと玉置山への最後の登りになるのが餓坂(カツエ坂)だった。ブナの新緑がきれいだった。坂を登りつめると玉置山山頂だった。シャクナゲがたくさん咲いていた。南方に少しだけ展望が開けていた。野球帽をかぶり一眼レフのカメラを持った男性が登って来た。玉置神社にお参りに来た様子だった。大きな荷物を持った我々を無視するかのようにシャクナゲの写真を撮り続けていた。山頂から下ると玉置神社に着いた。大きな杉の木が多かった。お参りの人が数人いた。挨拶をしたものの大きな荷物の我々には興味が無いらしく会話はしなかった。御神酒が置いてあり、自由に飲むことができた。
 玉置神社を後にして、熊野本宮へ向かう道に入ると、すぐ、5-6人の作業者が杉の木を切りながら道を整備していた。「通っても良いですか」と聞くと「良いですよ。気をつけてくださいね」と言いながら道を踏み固めて通りやすくしてくれた。腕時計を見ながら「今から本宮まで行くんですか」と聞かれたので「途中で泊まるんです」と答えると「ああ、そうですか」と安心したらしく笑顔を返された。
 その日は金剛多和ノ宿で一泊し、最終日、熊野本宮を目指して歩いて行った。そして、いよいよ熊野本宮が見えてきた。普通ならすんなり着くところを、さすが修験道の山道らしく、本宮が見えてからも登り下りの激しい道が続いた。やっと最後の一苦労を終えて本宮に着いた。歩き通した達成感を感じた。

古座川町の嶽ノ森山に登る2019/05/17 13:20

ナメトコ岩のサンショウウオのいた池
 5月11日は和歌山県南部、古座川町の嶽ノ森山に登った。登り口は天然記念物の一枚岩近くに有った。前日、一枚岩の道の駅に車を駐車し河原のキャンプ場にテントを張った。キャンプ場は無料で、道の駅のきれいなトイレを使わせてもらった。明け方には対岸の一枚岩でフクロウが鳴いていた。
 当日は明るくなるとすぐに歩き始めた。登山口から山道を少し登ると谷の道になった。大きな岩の上を水が流れていて、ナメトコ岩との名前が付いていた。ナメトコ岩が始まる場所には直径3mほどの滝壺のような池が有った。中をのぞくと体長10cmくらいのサンショウウオが20-30匹泳いでいた。ナメトコ岩はちょうど足場のところだけ足形に掘られ、滑らずに登ることができた。
 ナメトコ岩が終わりに近づいたところにはロープが右手から下がっていた。木とロープを掴んで10mほどの斜面を登った。登り切ったところには更に上に岩場が有り踏み跡が続いていた。10mほど登ると進む方向が分からなくなってしまった。ガイドブックを確認すると「沢を詰めてから左手の尾根に向かう」と説明されていた。右手の岩に登るのはおかしかった。ロープの終点まで戻り確認すると上流方向の少し見づらい位置に赤テープが続いていた。先頭で登った同行者には足場を指示しながら注意して降りてきてもらった。岩場は下りの方が難しく10分ほどの四苦八苦しながらの下りになった。
 嶽ノ森山の雄嶽、雌嶽で切れ落ちた谷の展望を楽しみ、更に奥の峰ノ山まで行ってから一枚岩の道の駅に戻った。テントを撤収するとちょうど昼時だった。道の駅のレストランで郷土料理の定食を食べ、古座川の清流で入れたコーヒーを飲みながら、満足した一日を振り返っだ。

八王子市の大洞山に登る2019/05/18 13:39

ヤマツツジを見ながら稜線を歩く
 5月12日の日曜日、高尾山の南にある大洞山を始めとする南高尾山稜を歩いた。今回は山岳会の山行で参加者は21名の大所帯だった。中には80歳代も半ばになろうかという会の最長老A氏も参加していた。A氏は久々の参加で、山登りも今年初めてとの事だった。21人はA氏を後から2番目、サブリーダーのB氏を最後尾に長い列になって歩いて行った。
 稜線は緑がきれいで、ヤマツツジやキンランなどの花々が咲いていて春を楽しめた。山道には適度にベンチとテーブルが配置されていた。A氏のリクエストで、ベンチが10分ごとに現れるたびに休憩を取った。最初は余裕のあったA氏も中盤を過ぎると休むたびに荒い息をハーハーさせていた。それでも、A氏は山登りの後の温泉とビールを楽しみにしているらしく、頑張って歩いていた。そして、ヘビースモーカーらしいA氏は、休むごとに煙草を1本吸っていた。
 最後の峠からは林道の下りだった。リーダーから「ここから林道なので今日の山登りはここでおしまいです」との案内があった。林道をゆるゆると下っていくと、いつの間にか最後尾の2人が見えなくなった。一人で立ち止まって待っていると10分以上たって二人がやってきた。「もうみんなは15分位前に行きましたよ」と伝えて一緒に歩き出した。林道は片側が沢になっていた。「そちら側は危ないので反対側を歩いた方が良いですよ」と川から離れるよう促した。A氏は素直に反対側に移動した。少し林道の勾配が急になった時、A氏は体に足がついていかなくなり小走りになったと思ったら、前に「どてっ」と転んでしまった。手を先に着いたので直接顔を打ち付けることは無かったものの額と唇を切ってしまった。着ていたワイシャツも太ったおなかのあたりがドロで汚れてしまった。B氏が応急処置をした。「ストックを使った方が良いですね」と伝えると手に持っていたストックを再度延ばし「XX会(山岳会の名前)もこれで最後だな」とつぶやきながら何とか立ち上がった。少し先で携帯が通じたので先行者に連絡を取った。集落に出ると先行者のうちの2人が待っていてくれた。タクシーを呼んでいて15分後には来るだろうとの事だった。A氏に畑の脇のコンクリートに腰掛けてもらい待っていると、近くにいた農家の男性が我々を見かねて駅まで送ってくれると申し出てくれた。男性の乗用車に乗り込もうとしている時にちょうどタクシーもやって来た。5人がタクシーと乗用車に分乗し、高尾山口駅まで行った。
 駅で車から降りるとA氏は「風呂に入ってビールを飲んでから帰る」との事だった。唖然とする我々にサブリーダーB氏が「仕方がないので今日は最後までつきあいます」と笑いながら言った。ここはB氏に任せることにして我々残り3人は電車に乗り込む事にした。

みちのく潮風トレイルを八戸市から階上町へ2019/05/24 15:44

種差海岸にて
 「みちのく潮風トレイル」を歩くために、出発点の八戸市の蕪島(かぶしま)に行った。ウミネコの繁殖地で巣で卵を抱く母鳥を間近に見る事ができた。心地よい潮風に吹かれながらトレイルを歩き始めた。
 初日の宿泊は八戸市の種差(たねさし)海岸だった。きれいな芝生の広がるキャンプ場だった。インフォメーションセンターでトレイルの地図をもらい、小さな酒屋で食料を調達した。家族連れの遊ぶ芝生地も夕暮れ時静かになった。他のテントは一張りだけだった。翌朝は海から登る朝日がきれいだった。
 二日目は暑かった。階上(はしかみ)町に入り、日差しの強い車道を階上岳の麓まで歩いた。暑さに耐えられず、登山口近くのレストランに入った。冷たい水を飲み、とろろそばを食べてゆっくり休んだ。出発時、主人に「今日は暑いですね」と言わて見送られた。この日の最高気温28度だった。
 登山道に入ると木陰になり涼しくなった。ヤマツツジが増えてくると山頂まで標高差200mほどの所の「つつじの森キャンプ場」に着いた。テントを張った。翌日の予報が雨だったので、予定を変更し、この日のうちに山頂まで登る事にした。山頂近くは新緑がきれいで、足元にはニリンソウやエンレイソウが咲いていた。階上山頂からは歩いてきた海岸が見えた。キャンプ場に戻って夕食を食べ終わる頃には海岸沿いの夜景がきれいになっていた。

みちのく潮風トレイル 洋野町(ひろのちょう)を歩く2019/05/27 14:34

有家駅手前のトレイル
 今回の最終日は久慈(くじ)市手前の有家(うげ)駅までの予定だった。種市(たねいち)海浜公園キャンプ場に重たい荷物を置き、前日、雨のために列車で迂回した区間を歩くために列車で階上(はしかみ)駅に戻った。この日は晴天だった。階上駅近くでトレイルに戻り、続きを歩き始めた。
 種市まで戻った時は、まだ9時半だった。名物の「うに」の定食でも食べたいところだったが、まだ時間が早かった。重さの軽いワカメを土産に購入するだけにした。テントで重たくなった荷物を担いで続きを歩き始めた。目標の有家駅周辺にはお店がないので、途中の酒屋で打ち上げ用の「氷結」を購入した。
 陸中八木駅を過ぎてしばらすると波の迫る海岸歩きになった。防波堤と海との間の幅10mほどの砂浜歩きが続く箇所だった。防波堤の高さは2-3m有り、上には線路が走っていた。少し大きな波が来たら逃げ道がなく、足元をすくわれそうだった。先行者一人の足跡がだけが心強かった。その足跡も、一番狭い箇所では波に消えていた。
 1kmほど歩くと有家駅の下に着き、砂浜歩きは終わった。ほっとして、砂だらけの坂道を登るとホームと待合室だけの駅に着いた。少し先にプレハブのトイレが見えた。トイレに行くのを躊躇していると、タイミング良く逆方向の久慈行きの列車が来た。乗り込んで車内で休むことにした。真新しい列車のトイレはきれいで快適だった。車窓を眺めながら購入した「氷結」で乾杯した。久慈からの折り返し列車では、有家駅を過ぎると、我々の歩いた砂浜が見えた。汐が満ちてきたらしく我々の足跡は波に消えていた。