八幡平のトレイル2017/08/09 17:15

小畚山から三ツ石山へ向かう
 八幡平山頂から大深山、三ツ石山にかけては、なだらかな稜線が続いていて、とても歩きやすい縦走路だった。地元の八幡平市では、安比高原から茶臼岳、八幡平山頂、三ツ石山、岩手山を通り、焼走り登山口までを50kmトレイルに指定して宣伝している。今回は、そのうちの茶臼岳から三ツ石山までを2泊3日で歩いて来た。
 一泊目を八幡平山頂近くの小屋で宿泊した後、二泊目は大深岳手前の大深山荘に宿泊した。きれいな小屋だった。壁に「50kmトレイルの手ぬぐい」が貼り付けてあった。トレイル全体の高低差を断面で示した図があしらわれた手ぬぐいで、ちょうどこの山荘が中間点付近だった。翌朝、5時半に起きて外に出てみると、30歳位の男性トレイルランナー3人がベンチで休んでいた。「早いですね」と挨拶すると「夜の1時に安比を出発した」との返事だった。どうやら50kmトレイルを1日で走り抜けるトレイルランナーらしかった。
 大深岳を経て小畚(こもっこ)山まで来ると、60歳代のトレイルランナーに追いつかれた。「50kmトレイルですか」と聞くと「よく分かりましたね」との返事だった。「それは50kmトレイルのですよね」と、頭に巻いていた小屋で見たのと同じ手ぬぐいを指差すと、「ああ、そうか」と納得した様子だった。夜10時に出発したとの事だった。「若いつもりなんだけれど本当の若い者には負けるよ」と言っていた。「このあたりは良く来るのですか」と尋ねると、「回数は三桁になる」との返事だった。「ここから三ツ石山までが一番良いところなんだ」と教えてくれた。
 小畚山から三ツ石山まで、ミネカエデの潅木越しに岩手山を見ながらの眺めの良い稜線歩きを楽しんだ。三ツ石山から下った三ツ石山荘もきれいな小屋だった。本来は泊まりたかったところだが水場の水は涸れていたので、そのまま松川温泉に下った。温泉で一泊して、疲れを癒やしてから帰宅した。

鹿島槍のテント場2017/08/14 13:16

冷池山荘のテント場
 鹿島槍登山の二日目、種池山荘のテントを撤収し、爺ヶ岳を越えて冷池山荘に着いた。山荘で受付時にもらったテント番号札には1番と記載されていた。テント場は爺ヶ岳や立山連峰の眺めの良い場所に有った。5張りテントが残っているのは鹿島槍を往復している人たちらしかった。風の少なそうな一番端にテントを張っていると、途中で出会った種池山荘から鹿島槍へ往復する60歳位の男性が通りかかった。「ここはロケーション良いですね~」と言いながら山頂へ向かっていった。テントを張り終わり、余分な荷物をテントの中に置いて、私も鹿島槍に向かった。
 霧の山頂を往復し、テント場に戻って来ると、様相は一変していた。たくさんのテントが所狭しと張られていた。数人がテントを張る場所を探してうろうろしていた。「さすが今日は山の日だ」と思った。これほど混むとは思わなかったので、私のテントの脇には30cmほどの平地が残っていた。
 しばらく呆然としていると、27-28歳の美人登山者が重そうなックを背負って連れの30歳くらいの男性と近くにやってきた。困惑した表情でテントを張る場所を探しているので「ここに張るなら少し寄せますよ」と声をかけてあげた。テントを30cm程端に寄せると、少し斜めながらもテントを張るスペースができた。私と同じアライの2人用テントで色が違うだけだった。私のテントの1番札を見た女性は「何時に着いたんですか。私たちのは55番ですよ」と言っていた。男性もテントを持ってきたとの事で「できれば2張り張りたかったけれど今日は無理ですね」と言っていた。今回は4人で来たけれど二人は疲れたので小屋に泊まっているらしかった。
 翌朝、テントをたたみ終わり出発準備をしていると、隣りのテントに小屋に泊まっていた27-30歳の男女二人が余分な荷物を置きにやって来た。「元気になりましたか」と声をかけると、すっかり元気になった様子だった。男性は私の25リットルのザックを見て「ずいぶんコンパクトですね。テントが入っているんですよね。何リットルなんですか」とびっくりした。そして相方の女性の荷物の量にあきれて「この荷物だけであのザックならいっぱいになるよな」と言いながらテントの中に運び入れていた。4人組は朝日を受けながら鹿島槍に元気に向かって行った。

鹿島槍の雷鳥2017/08/18 12:45

鹿島槍の雷鳥
 鹿島槍への途中、冷池山荘の手前の分岐で休んでいると。小さなザックを背負った60代の男性に追いつかれた。ちょうど反対側から60リットル位のオスプレーのザックを背負ったの30歳位の男性がやってきた。60代の男性は若者のザックを見て、「それオスプレーの○○ですよね。私も○○なんですが、雨蓋が取り外せてサブザックになるんですよね。良いですよね~」と、自分のサブザックを見せた。きょとんとした若者は「いいえ、○○ではありません」と返事をした。60歳代は「イヤー似ているなあ。オスプレーはポケットが多くて良いんですよね。カリマーとも比較したんだけれど、オスプレーにしたんですよ」と更に続けた。カリマーのザックを背負っていた私の気分は今一歩だった。
 冷池山荘でテントを張り、軽装で登って行くと布引山に着いた。霧に覆われていた。80リットル位のザックを背負った30歳位の外国人男性が休んでいた。日本語が上手だったので、出身を聞くとオーストラリアとの返事で、今は名古屋に住んでいるとの事だった。翌日の予定を迷っている様子で「明日の天気予報は見ましたか」と質問されたので、その場で調べてみた。この日は30%の降水確率で翌日は40%の降水確率だった。「今日と同じくらいですが明日の方が少し悪いみたいですね」と教えてあげた。
 更に登って行くと登山道に雷鳥がいた。子供を4匹連れた雷鳥だった。写真に撮ってから少し登ると軽装の35歳位の細身の男性が下りてきた。「雷鳥がいましたよ」と教えてあげると、「行きにも見ました」との返事だった。
 山頂で一休みした後、雷鳥のいた所まで下ってきた。行きよりも霧は晴れていて、谷の方が少し見渡せた。きょろきょろ見回していると、登山道から20mほど離れたところに雷鳥がいた。ちょうど下から22-23歳の山登りの経験の浅そうな二人の可愛い女性が、軽装で登ってきた。「あそこに雷鳥がいますよ」と教えてあげた。「どこ?どこですか」と5秒ほど探してようやく見つける事ができた。写真を撮りながら「わー、子供が4匹もいる。教えてくれなければ分からなかった。どうもありがとうございます」とお礼を言われた。おかげで最後は気分良く冷池山荘に向かう事ができた。

戦場ヶ原のホザキシモツケ2017/08/19 12:49

ホザキシモツケの間を歩く
 奥日光の二日目は戦場ヶ原に行くことにした。菖蒲ヶ浜キャンプ場のテントに荷物を置いて歩き出した。少し霧雨が降っていた。まだ朝で人のいない竜頭ノ滝を過ぎ、山道に入った。川沿いの道で、周囲は緑の美しいミズナラの森だった。
 赤沼への道を分けると戦場ヶ原に入った。幸い霧雨はやみ、少し薄日も差してきた。きれいな清流にはカモが数匹泳いでいた。清流脇に木道が付けられていた。雨上がりの木道は湿っていて滑りやすかった。木道の幅は1.5mほどで、すれ違いには十分の幅だったが、天気が今一歩のせいか、すれ違ったのは三脚とカメラを持った60代のちょっと太めの男性一人だけだけだった。
 しばらく進むと木道脇にピンクの花が咲いていた。案内板には「このあたりは8月にピンクのホザキシモツケが咲く」との説明が有った。一面のホザキシモツケを見ながら静かな木道を進んで行った。
 湧き水の有る泉門池(いずみやどいけ)で戦場ヶ原と別れると、再び森の中の川沿いの道になった。次第に滝の音が大きくなって行くと、湯滝に着いた。あいにくと雨が降り出した滝では、傘をさした観光客が10人ほど滝見をしていた。

湯ノ丸山のキャンプ場2017/08/28 15:22

夕暮れのキャンプ場
 湯ノ丸山のキャンプ場は広々としいた。ちょうど地元の幼稚園児50-60人のキャンプと重なっていたため、炊事場は子供達で混雑していた。テントは、まだ、たたんで草の上に置かれていた、張る場所だけ決めただけの様子だった。先生達が広場の中央を示しながら「ここでキャンプファイヤーをやります」と申し訳なさそうに教えてくれた。広場から少し離れた所に我々のテントを張る事にした。
 テントに荷物を置いて湯ノ丸山に登った。湯ノ丸山から戻って来ると、子供達のテントが10張りほど張られていた。子供達は炊事場で夕食の準備中だった。我々もテントの横でワインを飲み、夕食を食べてくつろいだ。きれいな夕焼けを眺めながら、おいしい食事をした。
 やがて日が暮れると子供達がキャンプファイヤーを始めた。ゲームをしていた。先生が動物の名前を言うと、その文字数だけの人数が輪になるゲームだった。たとえば「インドゾウ」なら5人が集まって輪になるルールだった。先生が「アフリカゾウ」と言ったので子供達はわいわい言いながら6人ずつグループになった。ちょうど人数が半端だったので見ていた我々も6人グループの一員に引きずり込まれてしまった。次に「ライオン」と先生が言った時は、逆に人数からあぶれてしまった。
 翌日の昼過ぎ、篭ノ登山から戻って来ると、キャンプ場のテントはきれいに片付いていた。昨晩、賑やかだったことが嘘のようだった。暑い日差しの中に我々のテントが残っているだけだった。