利島のツバキ油2017/06/27 15:46

ツバキの実を見ながらの下り
 下田では雨が降っていた。フェリーの乗客は7人だけだった。利島が近づくと少し小降りになってきた。甲板に出て景色を見ていると乗組員が一人やってきた。利島に行く目的がハイキングである事を伝えると、今頃だったら白いユリが咲いているはずと教えてくれた。
 利島で下船したのは我々二人だけで、他の乗客はこの先の新島、式根島、神津島まで行く様子だった。宿で昼食を終えた頃には再び雨が本降りになっていた。この日は集落を30分ほど散策しただけで歩くのはあきらめ宿で休む事にした。
 二日目は曇り空だった。予定通り宮塚山に行く事にした。南登山口から山道に入ると草は露で濡れていた。山頂に着いた時には服はすっかり湿ってしまった。山頂は樹林に囲まれ展望が無く濡れたベンチが二つ有るだけだった。下山は反対側の東登山口に出た。車道に出てからの帰り道にはツバキ畑が延々と続いていた。ツバキの実が大きく生っていた。白いユリは無く、代わりにオレンジ色のユリが咲いていた。集落に戻り、お土産にツバキ油を購入した。
 帰りのフェリーには行きと同じ乗組員がいた。乗り込む時に「お帰りなさい」と挨拶された。出航してしばらくすると、この乗組員がやってきてユリを見たか聞かれた。見なかった事を伝えると少しがっかりした様子でツバキの下に咲いているはずなんだがと言っていた。ツバキ油をお土産に購入したことを伝えると。自分もツバキ油で天ぷらを作ると話してくれた。高価なツバキ油で天ぷらと言われたのでびっくりしていると、ドレッシングにも良いと教えてくれた。

奥多摩入門の戸倉三山2017/06/22 14:45

刈寄山山頂
 梅雨の晴れ間を利用して奥多摩の戸倉三山へ登った。臼杵山(うすぎやま)、市道山(いちみちやま)、刈寄山(かりよせやま)を総称する名称で、奥多摩入門の山とも言われている。最初の臼杵山への登りでは途中でモノレールが右手から上がってきていた。ちょうど30歳くらいの男性がモノレールに乗せた荷物の横で作業をしていた。「何の作業ですか」と聞くと「アンテナを建設中なんです」との事だった。段ボール箱5-6個分も有る積み荷の確認が終わった男性はエンジンをかけ直して荷揚げを再開し始めた。モノレールで上げるのは荷物だけで男性は荷崩れを確認しながら、脇を登って行った。普通の登山の速度に比べ2-3割増しのスピードだったので空身とは言え大変な作業だと思った。男性が去ってから20分も登るとアンテナ建設作業現場に着いた。「エンジンオイルが干上がるとは思わなかったな」などと言いながら7-8人の男性が暑い中、作業をしていた。
 臼杵山から市道山にかけては植林に時々自然林の混ざる森だった。木漏れ日の間を吹き抜ける風が心地よかった。モノレールにつられて少し早足で歩いたせいか、少し筋肉痛になりかけていた。小ピークで疲れを癒やしていると70歳くらいの男性が反対側からやってきた。「緑の森を抜けてくる風がさわやかですね」と言いながら、そのまま休まず堅実な足取りで去って行った。年齢から考えてもうらやましい足取りだと思った。
 市道山を経て、小さな上り下りを繰り返し、最後の刈寄山に着いた。真新しいベンチが有った。筋肉痛になりかけの足を休めたかったのでベンチに横になってザックを枕に一休みした。目を閉じながら、「確かに戸倉三山は奥多摩の入口に有るが、入門にしては健脚向きの山だ」と思った。
 下山は今熊神社へ向かった。神社のすぐ下にはトイレが有った。人がいたので挨拶すると「清掃会社の者です」と名乗った。三山を歩いてきた事を伝えると「暑かったでしょう」と言われた。「今日は十分運動しました」と返した。

屋久島のアカウミガメ2017/06/08 16:41

海に帰るアカウミガメ
 屋久島は北東から南西へ島を横断して歩いた。永田岳からの下りは花山歩道を通った。途中の原生林を楽しみながら歩き、最後の1時間半ほどの林道歩きが終わると、島を一周する車道に出た。これで横断が完成だった。車道を10分ほど集落とは反対方向に歩くと「大川(おおご)の滝」のバス停に着いた。バス停からは200mほど先に滝が見えていた。屋久島横断で十分歩いて満足していたので、バス停から滝を眺めるだけにした。
 バスを5分程乗った青少年旅行村のキャンプ場で宿泊することにした。海に面した芝生のキャンプ場で、さわやかな風が吹いていた。テント設営後、20ほど歩いて栗生(くりお)集落まで行きビールと缶チューハイを買ってきた。口之永良部島の横に沈む夕日を見ながら祝杯を上げた。
 翌朝、早めに目が覚めたので朝の散歩で浜辺まで行ってみた。アカウミガメがいて、ちょうど生んだ卵に砂をかけ終わったところだった。休みながらも、意外に速い速度ではって行き、海の中に消えていった。
 翌最終日の朝、この日もウミガメが見られるかと浜辺に行ってみた。今度は卵を産むために穴を掘っているところだった。掘り終わるとピンポン球くらいの卵を産み始めた。100個ほども生んでから砂をかけ始めた。すっかり砂をかけ終わり、回りの砂浜と区別が付かなくなってから、海の方にはって行った。海に消えた時には見始めてから1時間ほど経っていた。

屋久島の鹿2017/06/07 16:09

鹿之沢小屋の鹿
 屋久島も永田岳までは行く人が多かったが、永田岳を越えて西側へ行く人は少ない様子だった。誰もいない道を満開のシャクナゲを見なが下って行った。正面には口之永良部島が見えていた。道は所々雨水で削られているためか落とし穴のように落ち込んでいて少し歩きにくかった。
 ゆっくり下って行くと、この日の宿泊地、鹿之沢小屋に着いた。小屋の回りもシャクナゲが満開だった。小屋の中は小さな明かり取りの窓が有るだけで薄暗かった。
 しばらく小屋の中で休んでから外に出てみると鹿がいた。屋久島で鹿を見るのは初めてだった。小さな鹿だった。すぐに逃げずに、こちらをじっと見ている姿は愛らしかった。写真を撮っているうちに逃げていった。
 鹿之沢小屋からの下りでも雌鹿と雄鹿を見た。どちらも最初に見た鹿とほぼ同じ大きさだった。どうやら屋久島の鹿は本州の鹿よりだいぶ小さいみたいだった。

屋久島のシャクナゲ2017/06/06 17:05

シャクナゲと永田岳を見ながら宮之浦岳へ
 白谷雲水峡付近の苔の森を通り、辻峠から下って行くと荒川登山口からのトロッコの道に出た。荒川登山口から縄文杉を往復する人が多く、多くのハイカーとすれ違った。トロッコ道が終わり大株歩道に入ると更にハイカーが増えた。ウィルソン株付近では20-30人程のハイカーが休んでいた。
 縄文杉に着いたのは夕方で、日帰りのハイカーは帰った後で誰もいなかった。2017年3月に完成した新しい展望デッキが有った。縄文杉のすぐ上の高塚小屋の前でテントを張った。
 翌日は宮之浦岳へと向かった。新高塚小屋を過ぎるとシャクナゲがきれいになってきた。平石岩屋付近は一面のシャクナゲでとてもきれいだった。
 宮之浦岳に登った後、永田岳に向かった。永田岳で展望を楽しんだ後、鹿之沢小屋に向かった。この下りもシャクナゲが信じられないほどきれいだった。

アパラチアントレイルの熊2017/05/30 12:52

木の上の熊の親子
 アパラチアントレイルのグレートスモーキー山岳国立公園ではたくさんの鳥や動物を見た。日本と同様、朝にはたくさんの鳥が鳴いていた。鳥の名前が全く分からないのは残念なところだった。ただウグイスやカラスは鳴いていなかったし、ホトトギスやカッコーもいなかった。小鳥以外には野生の七面鳥を見た。トレイルを歩いていたら、目の前を悠然と七面鳥が歩いて横切ったのには驚いた。
 動物で多くいたのはリスだった。素早く木に駆け上り甲高い声で鳴いていた。時々見たのは鹿だった。日本の鹿より少し太めで小振りのロバと言った感じだった。小屋にいたハイカーは鹿を見つけると喜んでいたので、鹿はそれほど多くないのかも知れない。日本では鹿が多すぎるのか登山者は鹿を見てもこれほどには喜ばないだろう。
 グレートスモーキーでは熊が多いと聞いていたが、見たのは最終日の1回だけだった。すれ違った人に「この先に熊がいる」と言われてから30-40分も歩き、いい加減見落としたかと思った時に、ようやく20mほど横の木の上にいた。ブラックベアと言う熊でグリズリーほどどう猛ではなく、食べ物は横取りしても人を襲う事はほとんどないそうだ。ツキノワグマ程度かと思っていたら、図体は大きく、ヒグマほどもあっただろう。小熊を3匹連れていた。長いこと木の上で休んでいた様子だった。しばらくすると母熊は口を大きく開けガチガチと歯をならし始めた。どうやら回りを威嚇している様子だった。離れているし相手は木の上なので、動物園で熊を見ている雰囲気だったが、相手の方はどうやらあまり良い気分がしなかったらしい。
 思いの外、熊の大きさが大きかったので、昨晩、寝ている間にテントの回りをうろついていた熊の足音を思い出し、良い気持ちはしなかった。

米国のバックパック文化2017/05/27 09:57

ベアケーブルに荷物を吊す
 アパラチアントレイルでは、多くのバックパッカーに出会った。一日あたり40~50人と出会った。各シェルター(避難小屋)はだいたい定員の12人で満員になり、外でテントを張ったりハンモックで寝ている人もいた。メイン州まで約6ヶ月かけてスルーハイクする人もいれば、行けるところまで行くセクションハイクの人も多かった。セクションハイクと言っても1ヶ月程度歩く人が多く、我々のように9日間と少ない人はまれだった。
 北向きのメイン州を目指すノースバウンドの人がほとんどで南のジョージア州を目指すサウスバウンドの人は少数だった。我々はサウスバウンドで歩いたので色々な人と出会えた。ただし日本人には会わなかった。日本人には好意的な人が少なからずいて、「君は日本人か?私は横田基地にいたことがある。日本には富士山があるなあ」などと話しかけられた。
 シェルターやテントサイトでは食事と寝る場所が分けられていた。食事はシェルターの外のベンチやかまどの回りで、寝る場所はシェルターの中やテントだった。寝ている間、食料は木と木の間に設置されたベアケーブルに吊すようなっていた。これは食料に熊が引き寄せられるためだ。最初、ベアケーブルの使い方が分からなかったが、15分ほど試行錯誤して、ようやく食料を吊すことができた。
 歩く人は若い20代の人から70代の老人まで様々だった。単独行が多かった。短パン、ノースリーブで歩く人も多く見かけた。山登りのど素人みたいな人も歩いていた。荷物はそれなりの大きさだが、足元は運動靴みたいのを履いている人が多かった。体重が重過ぎるだろうと思われる人も1割以上いて、途中で絶対リタイアするだろうと感じさせる人も少なからずいた。ピークを目指して歩く日本の山歩きとはひと味違ったハイキングだった。

アパラチアントレイルの新緑の絨毯2017/05/25 14:49

新緑の絨毯を通ってSilers Bald Shelterに着く
 アパラチアン・トレイルは米国東部のアパラチア山脈を、南のジョージア州から北のメイン州まで貫く延長3500kmのトレイルだ。今回は、その一部、南部のテネシー州とノースカロライナ州の境にまたがるグレートスモーキー山岳国立公園を8泊9日で歩いてきた。
 うち7泊はシェルター、日本風に言えば避難小屋に泊まった。残りの1泊はキャンプサイトにテント泊した。一つ一つのシェルターの定員は12名程度だった。アパラチアン・トレイルを通して歩くスルーハイクの人を除き、シェルターもキャンプサイトも予約が必要だった。予約は1泊目の1ヶ月前から受け付け開始で、7泊まで連続して予約可能だった。7泊を越える予約は一度にはできなかった。今回は2回に分けて日本出発前にインターネットで8泊分全て予約した。1グループの最大は8名と制限されているので、商業的ツアー登山の実施は困難だろうと思った。
 グレートスモーキーは最も標高の高いところでも2025mで、トレイルは、ほとんどが樹林帯を通っていた。出発前に「奥多摩を歩くようだ」と聞いていたが、実際には少し違いがあった。一番の違いは、日本に多い笹が、こちらでは全くなかった点だった。その代わり、林床を覆っていたのは、標高の比較的高いところではイネ科の草、比較的低いところではイネ科以外の草、たとえばエンレイソウなどだった。林床を覆う新緑の絨毯を楽しみながら歩く事ができた。
 歩行時間は1日あたり4時間~5時間半とした。そのおかげで9日間たっぷりと美しい森を楽しみながら歩いた。