信越トレイルを歩く ― 2018/11/01 15:00
信越トレイルのトレッキング、昨年は天水(あまみず)山から宇津ノ俣(うつのまた)峠まで歩いたので、今年は続きの宇津ノ俣峠から斑尾山まで歩く事にした。
初日は日曜で、信越トレイルのメンテナンスデーだった。ボランティアは8時半集合らしかった。早めに来たボランティアに「これから行くんですか」と声をかけられながら、我々は8時過ぎに宿を出発し宇津ノ俣峠の登山口まで車で送ってもらった。天気は良かった。宇津ノ俣峠まで登り信越トレイルに出た。黄葉がきれいだった。整備したばかりか小枝などは落ちておらず歩きやすいトレイルだった。花立山への途中で約10人の60歳くらいの団体とすれ違った。更に、もうすぐ牧峠に着くところでガイド無しで歩く60歳くらいの外国人夫婦とすれ違った。我々の大きい荷物を見て「全部歩くのか?」と聞かれたので「半分だ」と答えた。
牧峠には車道が通っていた。峠の北側は眺めが良く、路肩には車が20台ほど停まっていた。大きなレンズのカメラを三脚に付けてかまえる人が何人もいたので、「何を撮っているんですか?」と聞くと「渡り鳥が飛んで行く事があるんです。今はノスリが撮れます」と教えてくれた。
この日の宿泊地、光ヶ原キャンプ場に着いた。ブナの黄葉の盛りだった。この日のテントは我々だけだった。「どこに張っても良いですよ」と言われたので、炊事場の前に張った。シャワーも200円で浴びることができた。きれいなシャワールームで待合室は展望が良かった。
初日は日曜で、信越トレイルのメンテナンスデーだった。ボランティアは8時半集合らしかった。早めに来たボランティアに「これから行くんですか」と声をかけられながら、我々は8時過ぎに宿を出発し宇津ノ俣峠の登山口まで車で送ってもらった。天気は良かった。宇津ノ俣峠まで登り信越トレイルに出た。黄葉がきれいだった。整備したばかりか小枝などは落ちておらず歩きやすいトレイルだった。花立山への途中で約10人の60歳くらいの団体とすれ違った。更に、もうすぐ牧峠に着くところでガイド無しで歩く60歳くらいの外国人夫婦とすれ違った。我々の大きい荷物を見て「全部歩くのか?」と聞かれたので「半分だ」と答えた。
牧峠には車道が通っていた。峠の北側は眺めが良く、路肩には車が20台ほど停まっていた。大きなレンズのカメラを三脚に付けてかまえる人が何人もいたので、「何を撮っているんですか?」と聞くと「渡り鳥が飛んで行く事があるんです。今はノスリが撮れます」と教えてくれた。
この日の宿泊地、光ヶ原キャンプ場に着いた。ブナの黄葉の盛りだった。この日のテントは我々だけだった。「どこに張っても良いですよ」と言われたので、炊事場の前に張った。シャワーも200円で浴びることができた。きれいなシャワールームで待合室は展望が良かった。
信越トレイルのゴール斑尾山 ― 2018/11/02 17:04
信越トレイルのトレッキング2日目は光ヶ原高原キャンプ場を出発し、紅葉のきれいな新潟、長野県境の稜線を歩いて行った。時々、左手には千曲川、右手には新潟の平野が見えた。小沢峠で50歳位の女性単独行者に会った。麓に泊まりながら信越トレイルを歩いているとの事だった。桂池テントサイトまで進み、シェルターの前にテントを張った。他のテントは無かった。夜の間に少し雨が降った。
3日目、桂池から登って行くと黒岩山に着いた。展望が良く、蛇行して流れる千曲川がよく見えた。林道を下り、涌井で交通量の多い国道を横切ると毛無山への登りになった。最初は農道で畑を見ながらの登りだった。途中で30歳くらいのスルーハイカーに会った。毛無山も千曲川の展望が良かった。希望(のぞみ)湖、沼ノ原湿原と通って行くと赤池手前のブナ林に着いた。ブナの黄葉がきれいだった。3日目のキャンプ地、赤池も紅葉がきれいだった。夜は快晴で久し振りに天の川をゆっくり眺めた。他のテントは無かった。
最終日はI氏がサポートに来てくれた。袴岳でブナの森を楽しみ、ゲレンデを登ってゴールの斑尾山山頂に着いた。ちょうどこれから信越トレイルのスルーハイクに出発する60歳くらいの男性がいた。7月にもスルーハイクしたそうで、今年2回目との事だった。
出発する男性を見送った後、I氏からの差し入れのミカンとウィーダーインゼリーを食べながらゆっくりくつろいだ。
3日目、桂池から登って行くと黒岩山に着いた。展望が良く、蛇行して流れる千曲川がよく見えた。林道を下り、涌井で交通量の多い国道を横切ると毛無山への登りになった。最初は農道で畑を見ながらの登りだった。途中で30歳くらいのスルーハイカーに会った。毛無山も千曲川の展望が良かった。希望(のぞみ)湖、沼ノ原湿原と通って行くと赤池手前のブナ林に着いた。ブナの黄葉がきれいだった。3日目のキャンプ地、赤池も紅葉がきれいだった。夜は快晴で久し振りに天の川をゆっくり眺めた。他のテントは無かった。
最終日はI氏がサポートに来てくれた。袴岳でブナの森を楽しみ、ゲレンデを登ってゴールの斑尾山山頂に着いた。ちょうどこれから信越トレイルのスルーハイクに出発する60歳くらいの男性がいた。7月にもスルーハイクしたそうで、今年2回目との事だった。
出発する男性を見送った後、I氏からの差し入れのミカンとウィーダーインゼリーを食べながらゆっくりくつろいだ。
トレッキング 最初のテント場 ― 2018/11/24 18:03
ポカラから車で3時間余り、Galeshwar(標高870m)がトレッキングの開始地点だった。今回は我々トレッカー4人の他、ガイド2人、料理長1人、料理助手3人、ポーター8人の合計18人の大所帯だった。食堂で昼食を食べている間に、我々の荷物を持ったポーター達は先に出発して行った。我々も軽い荷物だけを持ち、後を追ってガイド二人と出発した。
歩き始めてすぐの車道では、下ってきた車の土ほこりがひどく、マスクでも付けようかと思った程だった。幸い車道とはすぐに分かれて歩道の歩きになった。村の生活道路だった。暑い日で途中でシャツ1枚になった。セミがたくさん鳴いていた。この日は祭りの日で、途中で着飾った女性二人とすれ違った。50-60歳の西洋人夫婦のトレッカーとすれ違った。
出発して2時間近くで、宿泊地、Mauwa Phant(1290m)に着いた。すでに先に着いたポーター達がテントを設営済みだった。我々トレッカーのテントは、サイズ4人用くらいで、2人で使うには十分な荷物スペースが有った。ふかふかのマットが敷かれていた。他にガイド用のテント、キッチン用テント、食事用テント、トイレ用テントが各1張りずつ用意されていた。テント設営箇所は村のすぐそばの運動場で、広さはバスケットコートとテニスコートを合わせたくらいの大きさだった。早々にテントで休んでいると、バスケットボールをしにきた村の子供達が珍しそうにテントの中をのぞき込んだ。言葉が分からず会話することができなかったのは残念だった。
夜は新月で星空がきれいだった。天の川が良く見えた。テントの回りには蛍が飛んでいた。これからのトレッキングを楽しみに眠りについた。
歩き始めてすぐの車道では、下ってきた車の土ほこりがひどく、マスクでも付けようかと思った程だった。幸い車道とはすぐに分かれて歩道の歩きになった。村の生活道路だった。暑い日で途中でシャツ1枚になった。セミがたくさん鳴いていた。この日は祭りの日で、途中で着飾った女性二人とすれ違った。50-60歳の西洋人夫婦のトレッカーとすれ違った。
出発して2時間近くで、宿泊地、Mauwa Phant(1290m)に着いた。すでに先に着いたポーター達がテントを設営済みだった。我々トレッカーのテントは、サイズ4人用くらいで、2人で使うには十分な荷物スペースが有った。ふかふかのマットが敷かれていた。他にガイド用のテント、キッチン用テント、食事用テント、トイレ用テントが各1張りずつ用意されていた。テント設営箇所は村のすぐそばの運動場で、広さはバスケットコートとテニスコートを合わせたくらいの大きさだった。早々にテントで休んでいると、バスケットボールをしにきた村の子供達が珍しそうにテントの中をのぞき込んだ。言葉が分からず会話することができなかったのは残念だった。
夜は新月で星空がきれいだった。天の川が良く見えた。テントの回りには蛍が飛んでいた。これからのトレッキングを楽しみに眠りについた。
トレッキングの温泉に浸かる ― 2018/11/25 20:55
11月13日、ようやく最奥の集落に着いた。戸数20戸ほどの小さな集落だった。車の道は無く、最短でも歩いて丸一日かかる場所だった。我々は更に遠回りして隣の谷から峠を越えてきたので6日かかっていた。ニワトリが家の庭先を歩き回っていた。あちこちの軒先で若いお母さん達が子供をあやしていた。25歳くらいの精悍な男性が牛を使って畑を耕していた。
集落の先は黒部渓谷を思わせるV字谷になっていた。道は、いったん100m程登って谷を巻いていた。急な崖っぷちを下って行くと、最終集落から1時間半ほどで河原に出た。川の向かいには温泉が有ると言う。村人達も冬の間に湯治に来るそうだ。水量の多い夏の間は流されて橋が無いそうだが、今回はトレッキング開始時にガイドが村人に連絡し、なにがしかのお金を支払うことを条件に橋を架けてもらっていた。作りたての橋を使って急流を渡った。
温泉は屋根の付いた湯船があるだけだった。屋根は上からの落石が危ないとのことで後で付けられたものとの事だった。温泉は混浴で、ネパールでは服を着たまま入るとの事だった。我々もトランクスを着けたまま入った。ちょうど適温の湯で、長い時間、ゆっくり浸かっていられる温泉だった。日本では「何々温泉」と、すぐに固有名詞が付くが、ネパールの温泉は固有名詞が無い。それどころか「温泉」という単語も無く、単に「温かい水」を意味する「タトパニ」と呼ばれていた。
この日は、ここが宿泊地だったので、「タトパニ」にゆっくり浸かって6日間の汗を流し、翌日以降の高所トレッキングに備えた。
集落の先は黒部渓谷を思わせるV字谷になっていた。道は、いったん100m程登って谷を巻いていた。急な崖っぷちを下って行くと、最終集落から1時間半ほどで河原に出た。川の向かいには温泉が有ると言う。村人達も冬の間に湯治に来るそうだ。水量の多い夏の間は流されて橋が無いそうだが、今回はトレッキング開始時にガイドが村人に連絡し、なにがしかのお金を支払うことを条件に橋を架けてもらっていた。作りたての橋を使って急流を渡った。
温泉は屋根の付いた湯船があるだけだった。屋根は上からの落石が危ないとのことで後で付けられたものとの事だった。温泉は混浴で、ネパールでは服を着たまま入るとの事だった。我々もトランクスを着けたまま入った。ちょうど適温の湯で、長い時間、ゆっくり浸かっていられる温泉だった。日本では「何々温泉」と、すぐに固有名詞が付くが、ネパールの温泉は固有名詞が無い。それどころか「温泉」という単語も無く、単に「温かい水」を意味する「タトパニ」と呼ばれていた。
この日は、ここが宿泊地だったので、「タトパニ」にゆっくり浸かって6日間の汗を流し、翌日以降の高所トレッキングに備えた。
ダウラギリ ジャパニーズBC ― 2018/11/26 17:03
標高3600mのイタリアンベースキャンプから4100mのジャパニーズベースキャンプまでが今回のトレッキングの山場だった。イタリアンベースキャンプから谷への下りは少し急な上に三日前の雪が1-2cm積もっていた。ストックをしっかり突いて慎重に下った。何とかダウラギリ側から落ちてくる氷河の上に出てほっとした。谷を埋める氷河の上を通って谷の対岸へ渡った。更に絶壁下をトラバースして登って行くと草地の広場、スイスベースキャンプに着いた。
スイスベースキャンプからは氷河の圏谷(U字谷)になった。両側が2000-4000m切り立ったU字谷は、米国のヨセミテ谷を一回り大きくした感じだった。ここはダウラギリ側から落ちる雪崩の危険地帯との事で、先頭を歩くガイドのN氏は、「ビスターリ、ビスターリ(ゆっくり、ゆっくり)」と言いながら、全く休んでくれなかった。結局、小尾根の有る安全地帯に着くまで1時間半ほど歩き続けになった。小休止後、更に20分ほど歩くと氷河末端に着いた。しずくがぽたぽた落ち、氷河に閉じ込められた20cmほどの岩が今にも落ちそうだった。素早く末端を通過して氷河の上に出た。
ジャパニーズベースキャンプは氷河上に有った。石屑がゴロゴロしていて、一見したところでは氷河の上とは思えなかった。ガイドのP氏によれば、以前は平らで、うっすらと土がかぶって草が生え、キャンプ適地だったとの事だった。氷河の溶解と供に、でこぼこになったのか、あるいは上流側にキャンプ地そのものが移動した様子だった。
翌日は往路をイタリアンベースキャンプへ戻った。今にも落ちそうだった氷河末端の岩は、まだ落ちていなかった。スイスベースキャンプまでは、行きと同様に1時間半、休み無しだった。
スイスベースキャンプからは氷河の圏谷(U字谷)になった。両側が2000-4000m切り立ったU字谷は、米国のヨセミテ谷を一回り大きくした感じだった。ここはダウラギリ側から落ちる雪崩の危険地帯との事で、先頭を歩くガイドのN氏は、「ビスターリ、ビスターリ(ゆっくり、ゆっくり)」と言いながら、全く休んでくれなかった。結局、小尾根の有る安全地帯に着くまで1時間半ほど歩き続けになった。小休止後、更に20分ほど歩くと氷河末端に着いた。しずくがぽたぽた落ち、氷河に閉じ込められた20cmほどの岩が今にも落ちそうだった。素早く末端を通過して氷河の上に出た。
ジャパニーズベースキャンプは氷河上に有った。石屑がゴロゴロしていて、一見したところでは氷河の上とは思えなかった。ガイドのP氏によれば、以前は平らで、うっすらと土がかぶって草が生え、キャンプ適地だったとの事だった。氷河の溶解と供に、でこぼこになったのか、あるいは上流側にキャンプ地そのものが移動した様子だった。
翌日は往路をイタリアンベースキャンプへ戻った。今にも落ちそうだった氷河末端の岩は、まだ落ちていなかった。スイスベースキャンプまでは、行きと同様に1時間半、休み無しだった。
ネパール トレッキング最終日 ― 2018/11/27 17:55
トレッキングも終盤となると、ポーター達の荷も軽くなった。最初の頃は、急坂でポーターを追い抜くことも有ったが、今では出発するなり昼食の休憩までポーター達には追いつかなかった。
最後の晩のロッジに着いた。ロッジ内は狭いので我々4人は、隣りのバナナ畑にテントを張ってもらった。夜の打ち上げに備えガイドP氏がロッジからお酒(ロキシ)を購入した。料理長は、隣りの農家から羊を1匹購入した。ガイドP氏によれば、ニワトリ2匹と羊1匹が同じ値段だったので羊にしたとのことだった。
暗くなると、いよいよ打ち上げが始まった。乾杯後、まず我々4人から参加者全員に14日間のお礼の気持ちを込めてチップを渡した。場が盛り上がったところで、ポーター達がネパールの踊りと歌を披露してくれた。我々も日本の歌「上を向いて歩こう」を歌った。ガイドのP氏も日本語を習った時に最初に教わった歌との事で喜んでくれた。最後はポーター達に混ざって、腰をくねらせながらネパールの踊りを一緒に踊った。
宴会も終わり、我々はめいめいののテントに戻った。バナナ畑は月明かりに照らされて明るかった。寝袋に入りテントの布に映るバナナの葉影を見ながら眠りについた。
最後の晩のロッジに着いた。ロッジ内は狭いので我々4人は、隣りのバナナ畑にテントを張ってもらった。夜の打ち上げに備えガイドP氏がロッジからお酒(ロキシ)を購入した。料理長は、隣りの農家から羊を1匹購入した。ガイドP氏によれば、ニワトリ2匹と羊1匹が同じ値段だったので羊にしたとのことだった。
暗くなると、いよいよ打ち上げが始まった。乾杯後、まず我々4人から参加者全員に14日間のお礼の気持ちを込めてチップを渡した。場が盛り上がったところで、ポーター達がネパールの踊りと歌を披露してくれた。我々も日本の歌「上を向いて歩こう」を歌った。ガイドのP氏も日本語を習った時に最初に教わった歌との事で喜んでくれた。最後はポーター達に混ざって、腰をくねらせながらネパールの踊りを一緒に踊った。
宴会も終わり、我々はめいめいののテントに戻った。バナナ畑は月明かりに照らされて明るかった。寝袋に入りテントの布に映るバナナの葉影を見ながら眠りについた。
ダウラギリ イタリアンベースキャンプ ― 2018/11/28 21:19
ダウラギリ・イタリアンベースキャンプからダウラギリを見ると、およその仰角45度でそびえていた。
再度、地図でチェックしてみた。地図からはダウラギリの8000m地点の絶壁が始まるところが見えているようだった。8167mの山頂そのものは山頂部が平坦なので見えていないようだ。
絶壁の8000m地点までのイタリアンベースキャンプからの直線距離は地図上では4200mだった。イタリアンベースキャンプの標高は3600mなので比高差は4400m。4200mの距離で4400mの高さを見ていることになり、45度よりやや多い仰角で見上げている事が分かった。
4400mの標高差を4200mの距離で見るとは、あらためてヒマラヤはすごいところだと思った。
再度、地図でチェックしてみた。地図からはダウラギリの8000m地点の絶壁が始まるところが見えているようだった。8167mの山頂そのものは山頂部が平坦なので見えていないようだ。
絶壁の8000m地点までのイタリアンベースキャンプからの直線距離は地図上では4200mだった。イタリアンベースキャンプの標高は3600mなので比高差は4400m。4200mの距離で4400mの高さを見ていることになり、45度よりやや多い仰角で見上げている事が分かった。
4400mの標高差を4200mの距離で見るとは、あらためてヒマラヤはすごいところだと思った。
トレッキングの一日 ― 2018/11/29 21:33
トレッキングの一日は、キッチンスタッフの「グッドモーニング」の朝の挨拶と供に始まった。朝のコーヒーをテントまで持ってきてくれたのだ。コーヒーを飲みながら、食事までに自分の荷物をまとめておいた。ポーターに運んでもらう荷物を大きいザックに入れ、水やお菓子、防寒具など持って歩く物を小さいザックに入れた。朝食は食堂テントまで行って我々4人だけで食べた。お粥だったり、ご飯だったり、パンケーキだったりした。米は我々のためにわざわざカトマンズの日本料理店からジャポニカ米を入手したとの事だった。
朝食が終わる頃には我々のテントは撤収され出発の準備が整っていた。出発は8時頃で、準備のできたポーターから順次出発していった。食器洗いがあるキッチンスタッフは大抵最後の出発で、通常は我々の方が一足先に出発した。ところが出発して30分もすると、早々と重い荷物を担いだキッチンスタッフ達に抜かれてしまった。12時前後には、1時間から1時間半の昼食休憩になった。先着したキッチンスタッフから、まず、お湯に溶かした甘い粉末ジュースが出された。ゆっくり飲み終わると、続いてメインのパスタや麺類と野菜炒めが出された。最後に紅茶が出て昼食が終わった。
昼食休憩中には、しばしば、くつろぎなながら現在地を確認した。ポカラで購入した地図は縮尺は6万分の1で、等高線間隔は100mだった。集落の位置もおおざっぱで、道の位置も右岸と左岸で逆だったりで不正確だった。もっとも、14日間で5パーティにしか会わない所なので、トレッカーのための正確な地図を期待する方が間違っているかもしれなかった。もう少し等高線間隔も細かいと良いのだが、一緒に8000mの山が入っているのでは、日本のように20m間隔で等高線を引くのは無理と言うものだろう。腕時計に付いた高度計だけでは場所が判然としないので、結局、スマホを取り出してGPSで調べた。現状では、地図だけで歩くのは無理で、現地ガイドの案内が必須な場所だった。ガイドのP氏によれば、以前、地図を信じたお客と言い争いになった事すら有るとの事だった。
一日のトレッキングが終了してキャンプ地に着くと、すぐにキッチンスタッフが甘い紅茶とビスケットを持ってきてくれた。テントでしばらくくつろぎ、暗くなった5時半頃から夕食が始まった。食堂テントに移動し、最初にガイドも一緒になってお酒(ロキシ)とつまみで乾杯した。ロキシは人のいるところなら大抵売っている蒸留酒で、現地調達していた。アルコール度数は、おおむね日本酒と同じくらいだった。味は薄い物から沖縄の泡盛に近い物までまちまちだった。つまみはポップコーンや小さなスナック、ソーセージ、途中の村で調達した野菜の炒め物などだった。肉が調達できた時は肉だった。肉の現地調達は、村でニワトリを調達したのが2回、ロッジの主人が仕留めたばかりの鹿のもも肉が一回、最終日に宴会用に調達した子羊が1回だった。夕食のメインはお米と野菜炒め、我々日本人のために、毎回みそ汁が用意されていた。
朝食が終わる頃には我々のテントは撤収され出発の準備が整っていた。出発は8時頃で、準備のできたポーターから順次出発していった。食器洗いがあるキッチンスタッフは大抵最後の出発で、通常は我々の方が一足先に出発した。ところが出発して30分もすると、早々と重い荷物を担いだキッチンスタッフ達に抜かれてしまった。12時前後には、1時間から1時間半の昼食休憩になった。先着したキッチンスタッフから、まず、お湯に溶かした甘い粉末ジュースが出された。ゆっくり飲み終わると、続いてメインのパスタや麺類と野菜炒めが出された。最後に紅茶が出て昼食が終わった。
昼食休憩中には、しばしば、くつろぎなながら現在地を確認した。ポカラで購入した地図は縮尺は6万分の1で、等高線間隔は100mだった。集落の位置もおおざっぱで、道の位置も右岸と左岸で逆だったりで不正確だった。もっとも、14日間で5パーティにしか会わない所なので、トレッカーのための正確な地図を期待する方が間違っているかもしれなかった。もう少し等高線間隔も細かいと良いのだが、一緒に8000mの山が入っているのでは、日本のように20m間隔で等高線を引くのは無理と言うものだろう。腕時計に付いた高度計だけでは場所が判然としないので、結局、スマホを取り出してGPSで調べた。現状では、地図だけで歩くのは無理で、現地ガイドの案内が必須な場所だった。ガイドのP氏によれば、以前、地図を信じたお客と言い争いになった事すら有るとの事だった。
一日のトレッキングが終了してキャンプ地に着くと、すぐにキッチンスタッフが甘い紅茶とビスケットを持ってきてくれた。テントでしばらくくつろぎ、暗くなった5時半頃から夕食が始まった。食堂テントに移動し、最初にガイドも一緒になってお酒(ロキシ)とつまみで乾杯した。ロキシは人のいるところなら大抵売っている蒸留酒で、現地調達していた。アルコール度数は、おおむね日本酒と同じくらいだった。味は薄い物から沖縄の泡盛に近い物までまちまちだった。つまみはポップコーンや小さなスナック、ソーセージ、途中の村で調達した野菜の炒め物などだった。肉が調達できた時は肉だった。肉の現地調達は、村でニワトリを調達したのが2回、ロッジの主人が仕留めたばかりの鹿のもも肉が一回、最終日に宴会用に調達した子羊が1回だった。夕食のメインはお米と野菜炒め、我々日本人のために、毎回みそ汁が用意されていた。
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