ネパールのポーター2018/12/07 11:36

たき火を囲んで
 今回のトレッキングのポーターは若い男性8人だった。一番若いポーターP君は、まだあどけなさの残る19歳だった。二日目の急登で追い抜いた時にP君は足首をさすっていた。どうやら足をひねった様子で、ガイドも心配そうに見ていた。何とか持ち直したようで、その後は他のポーターと一緒に歩いていた。荷物は一人30kg弱だった。荷物の後ろ、下から1/4~1/3位の所にかけた紐を頭まで伸ばして額にかけて担いでいた。30kg近くあると一人で持ち上げるのは困難で、もう一人が後ろから持ち上げながら立ち上がっていた。よくしたもので、トレッキングコースの休憩所には椅子の代わりに約1mの石の台がしばしばあった。台の上に荷物を置くと、出発時に一人で立ち上がる事ができた。靴は半分くらいの人がサンダル履きだった。
 ポーターは荷物を運ぶ以外に、テントの設営や撤収も手伝っていた。テント設営後に夕立で雹が降った時が一日有った。土砂降りの中、テントの回りでガツガツ音がするので外をのぞいてみたら、P君が濡れながらピッケルを使ってテントの回りに雨水用の溝を掘ってくれていた。ポーター達の食事は我々とは別だった。たき火をたいて自分たちで作っていた。最初は火が点きにくいので、燃料の石油をポリタンの蓋に少しだけ入れ、まだ煙だけでくすぶってるたき火にかけて火をおこしていた。そして米と水を入れた鍋をたき火にかけていた。高所順応で3600mのイタリアンベースキャンプで2泊したときは、ポーターにとっても休養日だった。午前中のハイキングが終わった後は我々もぶらぶらしていた。陽が当たって温かくなった午後の小屋前で、ガイドやポーター達がトランプを始めた。白熱した様子で、3時を過ぎて日が陰って寒くなってきてからも続いていた。
 4100mへのジャパニーズベースキャンプへは、雪の付いた道や氷河を歩くコースだった。今までサンダル履きだったポーターもこの日は運動靴を履いていた。一泊だけして、イタリアンベースキャンプに戻ってくる事もあり、ポーター中の二人は留守番になった。うち一人は途中の急坂のところまで空身でサポートに来てくれた。滑りやすい急坂の下りではメンバーの荷物を担いでくれた。ジャパニーズベースキャンプが近づくと、今度は先に着いたポーターのうちの二人がサポートに来てくれて、氷河末端の沢を渡るのに手を貸してくれたり荷物を持ってくれたりした。帰りもイタリアンベースキャンプから留守番のもう一人のポーターがピッケルを持って迎えに来てくれた。急な登りをピッケルでステップを作ってくれ、荷物も持ってくれた。
 トレッキングの終盤、樹林帯でキャンプした時、ポーター達がたき火をしていた。温かそうなのであたらさせてもらった。ポーター達は、火の粉が飛んでかかりそうになる中、陽気に歌を歌っていた。この際だからと、我々はゴミ袋に入れていた紙ゴミやプラ製のお菓子の包み紙を燃やす事にした。ゴミは景気よく燃えた。ねらいが狂い、そのうちの一つがひらひらとたき火の熱で10m位舞い上がって暗闇に消えていった。

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