アイゼン購入2016/03/01 22:00

 アイゼンを購入した。2万5千円くらいした。前歯まである12本爪のアイゼンだ。
 前、使っていたアイゼンは昨年の春山で歩いているうちにネジが落ちて使えなくなってしまった。もう20年くらい使っていた代物だ。今年もこれからアイゼンが必要な春山に行こうと考えているので、わざわざ登山靴を持って東京まで行って買った。靴に合うアイゼンを買う必要があったからだ。幸い良いアイゼンを見つける事ができた。
 アイゼンは状況によって仕方なしに使うものなので、あまり使うのが楽しみというわけでは無い。でも必ず役立つ時が有るだろう。
 今年も残雪の春山に行くのが楽しみになってきた。

銀杏峰(げなんぼ)の山スキー2016/03/07 21:44

銀杏峰前山からの下り
 週末は福井県の銀杏峰に山スキーに行った。前日は登山口で車の中で一泊した。当日の朝は少し寝坊してしまい出発が予定より40分遅れてしまった。シールを付け、林道から尾根へと登っていった。登るに従い風が強くなってきた。我々より先に出発した20歳台のアベックが下山してきた。「風が強かったので山頂までは行かなかった」との事だった。
 一層強くなる風に全体の約2/3のところにある前山の直前では「まだ行くのですか」と同行者に聞かれた。「そこまで登ろう」と前山までは登った。到着は45ほど予定より遅れていた。ピークの風下側で風を少し避けながら休んだ。山頂方面には黒い雲がかかりかけていた。風が強く、同行者も気力も失せていたようなので、ここで引き返すことにした。
 下りは最初は急坂に四苦八苦した。少し緩くなりスキー操作にも慣れて来てようやく快適に下る事ができた。木にぶつからないようスリルを味わいながら滑るのはけっこう楽しかった、これがゲレンデスキーとは違う山スキー醍醐味だろう。十分滑りを堪能して登山口に戻った。同行者も滑りを楽しんだようで、また山スキーをしたいと言っていた。
 幸い、この日は雨には降られずに無事山スキーを終えることができた。車で大野市の平地まで下りてくると登れなかった銀杏峰が恨めしげに山頂まで見えた。

牧場でスキーの練習2016/03/10 20:45

牧場を滑る
 週末の銀杏峰への山スキーの前日には1ヶ月前に行った奥越高原に再度行ってみた。山スキーの練習をしておこうとの趣向だった。
 奥越高原の牧場は1ヶ月前よりだいぶ雪が溶けていて、下の牧場付近は雪が無くなっていた。それでも上の牧場まで行くと一面の雪になった。積雪は10-20cmだった。車を牧場の管理棟の横に置き、予定通りスキーをする事にした。
 スキーにシールを付け、牧場を登り始めた。緩い坂で登ると言うよりも、ほとんど歩く感じだった。50mほどの標高差を登りつめると牧場の最高点に着いた。快晴で回りの山々が良く見えた。シールを外すのも面倒なので付けたまま下ったら下りも滑ると言うよりは歩く感じになった。1回では物足りないので、もう一往復することにした。二回目は最高点でシールを外し、最後の下りは滑って下った。
 ちょっとした練習にはなった。ここでスキーの練習ができるのも、そろそろ最後だと思った。

韮山城跡に行く2016/03/14 21:03

韮山城跡にて(伊久間氏撮影)
 週末は久しぶりに山登りには行かずに近場を歩いた。韮山反射炉と韮山城跡などをゆっくりと散歩した。
 歩いたコースは、韮山駅から江川邸、韮山城、蛭ヶ小島、反射炉と回り、伊豆長岡駅まで。近場ではあったが、思いの外、歴史を感じることのできた散歩コースだった。
 江川邸は江戸時代末期に反射炉を作る差配をした江川太郎左衛門氏が勤めていた代官所跡、韮山城は戦国時代の武将、北条早雲が建てた城、蛭ヶ小島は伊豆に流された源頼朝が旗揚げ前にいたところ、反射炉はお台場の大砲を鋳造したところで世界遺産に昨年登録されている。
 山らしかったのは韮山城だけだった。それも標高50mに過ぎなかった。それでも平野の向こうに沼津アルプスが良く見えた。のんびりと楽しむ事ができた休日だった。

新しいピッケル2016/03/17 21:59

購入したピッケル
 新しいピッケルを日曜に購入した。前のピッケルは800gだった。今回のは500gだ。縦走用に軽いのを買った。週末の銀杏峰で試しに使ってみようと思っている。楽しみにしている。

霧の銀杏峰山頂2016/03/23 20:11

銀杏峰前山
 連休は、二週間前に前山までしか登る事ができなかった銀杏峰(げなんぽ)に再挑戦する事にした。コースは同じ宝慶寺いこいの家からだった。雪は二週間前よりも、だいぶ融けていた。スキーで滑り降りたところが草地になっていた。ようやく全体の半分ほどの標高になった「仁王の松」付近から雪が出てきた。前回の到達点の前山は、前回は雪面だったが、今回は地面が出ていた。人気のある山らしく、次々と10人ほどの登山者とすれ違った。
 前山からの登りでは霧が出て来た。木には霧氷が見られた。霧氷を楽しみながら登って行った。最後にすれ違った二人組には「山頂はホワイトアウトなので注意するように」と言われた。「足跡を見失わないようします」と答えた。少し勾配が緩くなった山頂台地の手前でルートを間違えて左手に進んでしまい、少し急な左下がりの斜面に出てしまった。右上の登山道の有るところに出るまで斜面を登った。少し急で雪も硬かったので緊張した。斜面を登り切ると登山道のところに出た。緩い勾配を少しずつ登って行った。視界は20mほどだった。風はほとんどなかった。ついに登りがなくなり、小さな上り下りの繰り返しになった。足跡もあちこちに付いていた。どこが最高点かさっぱり分からなかった。あまりうろうろして帰りが分からなくなると困るので、適当なところでストップし、ここが山頂と納得して休憩した。
 帰りは滑り止めの意味もあってワカンをつけた。足跡を確認しながら歩いた。雪が硬めだったので足跡はあまりはっきりしていなかった。足跡が分からなくなったところでは少し戻り気味に歩いて足跡を探し当てた。下りになって尾根がはっきりして来ると見覚えのある景色になった。ようやく余裕が出てきてほっとした。あとはゆっくり尾根を下った。
 今回は平坦な霧の山頂歩きがあって、予想より難易度の高い山だった。その分、高い満足感を得る事ができた。

霧氷のきれいだった部子山2016/03/27 21:21

部子山山頂への登り
 先週の部子山(へこさん)では林道を車でできるだけ入ろうと思っていた。ところが林道を1kmも入ると雪が出てきて車が通れなくなってしまった。しかたなく、車を駐車し、以降は所々雪の積もった林道を歩くことにした。林道から尾根に取り付く場所は地形図を見て、およそ標高850m地点にすることにしていた。幸い850m地点の手前から林道にも雪が続くようなった。予定地点の少し手前でワカンを履き、斜面に取り付いた。
 すぐにカーブを描いて戻ってきた林道に出た。そこからの登りが難しかった。林道の法面はほどんどが崩れそうな数mの崖になっていた。前後200m位を探して、1箇所だけ上に登ることができそうな場所を見つけた。木の枝に捕まりながら登った。登り切ると雪面に出た。下山時に、この場所が分からないと問題と思い、木に目印のハンカチを結びつけた。次に藪混じりの雪面を少し登った所で、上から見通せる箇所に、ツエルトの袋をぶら下げた。更に雪面を登ったところで目印にできそうな持ち物を探したところ同行者がテーピング用のテープを持っている事が分かった。20cmくらい垂れるよう長めに切って木にぶら下げた。肌色のテープだったが、ひらひらと揺れて、結構目立つ印になった。以後、上から見通せる箇所に合計7-8箇所テーピング用のテープを付けた。ようやく尾根がはっきりして来たところでテープの取り付けから解放された。尾根がはっきりしてからも少し藪気味だった。登りつめて稜線に出たところに降りる尾根を示すためにテープを付けた。
 稜線に出てからは藪は少なくなり歩きやすくなった。それでも同行者がザックから出していた水を吸うためのチューブが枝に何度も引っかかった。途中で、チューブはザックの中にしまってもらう事にした。山頂が近づくと青空に霧氷がとてもきれいになった。山頂では反対側の銀杏峰方面からの登ってきた人が6人ほどいた。この日は我々と同じコースで登ってきた人はいなかった。下山は往路を下った。下るに従い、登りの足跡は分かりにくくなった。稜線から尾根に分岐する地点では行きに付けたテープのおかげで自信を持って下る場所が分かった。テープを回収して尾根に入った。しばらく尾根を下り、尾根から林道への降り口へ離れるところからはテープを回収しながら下った。最後のツエルトの袋とハンカチを回収し、無事元の林道に降り立った。
 今回は体力だけでなく、正しい判断力が試される山だった。そして苦労して登った先には美しい霧氷が待っていた。登った甲斐の有る山だった。

西伊豆の漁港で2016/03/30 21:15

米崎の港と恋人岬
 週末は西伊豆にハイキングに行った。アベックが多かった恋人岬から山道を少し下ると米崎の海岸だった。小さな漁港が有った。漁に行っているのか軽トラックが10台くらい停まっていた。港の防波堤を越えて海岸に出て休む事にした。海岸は腰掛けるにちょうど良い岩がごろごろと転がっていて昼食休憩にはちょうど良かった。持参のお湯をカップに入れて暖かなスープを飲みながら、おにぎりを食べた。
 しばらくすると網篭を背負った人がやってきて、我々のすぐそばを通り過ぎた。一人だけと思ったら、その後、同じ格好をした人が、ぽつりぽつりと、そばを通り過ぎた。海の方からも二人乗りくらいの小型の漁船が港にやってきた。何か積んでいる様子だった。何かを採っていたのだろうが何かは分からなかった。
 休憩を終え、港に戻ってみると軽トラックの荷台には袋や篭にいっぱい茶色い海藻が積まれていた。どうやらこの海藻を採っていたらしかった。忙しそうに作業している人に声をかけるのも少しためらわれたので、なんだろうと気にはかけながら、そのまま通り過ぎてしまった。
 港から国道へは、ちょっとした坂道の上りだった。ちょうど昼飯時になったせいか次々軽トラックが我々を追い抜いていった。やがて電動車椅子とスクーターの合いの子のような乗り物に乗ってきた70歳くらいの女性に追いつかれた。「あなた方もヒジキを取りに来たのかと思った。ちょうど解禁になったところだから。」と声をかけられた。どうやらヒジキを採っていたらしかった。こんなところで採っているんだと初めて知った。